まれた。渚《なぎさ》へ寄る波がすぐにまた帰る波になるのをながめて、「いとどしく過ぎ行く方の恋しきにうらやましくも帰る波かな」これも源氏の口に上った。だれも知った業平朝臣《なりひらあそん》の古歌であるが、感傷的になっている人々はこの歌に心を打たれていた。来たほうを見ると山々が遠く霞《かす》んでいて、三千里外の旅を歌って、櫂《かい》の雫《しずく》に泣いた詩の境地にいる気もした。

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ふる里を峯の霞《かすみ》は隔つれど眺《なが》むる空は同じ雲井か
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 総てのものが寂しく悲しく見られた。隠栖《いんせい》の場所は行平《ゆきひら》が「藻塩《もしほ》垂《た》れつつ侘《わ》ぶと答へよ」と歌って住んでいた所に近くて、海岸からはややはいったあたりで、きわめて寂しい山の中である。めぐらせた垣根《かきね》も見馴《みな》れぬ珍しい物に源氏は思った。茅葺《かやぶ》きの家であって、それに葦《あし》葺きの廊にあたるような建物が続けられた風流な住居《すまい》になっていた。都会の家とは全然変わったこの趣も、ただの旅にとどまる家であったならきっとおもしろく思われるに違いないと
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