なって悲しかったが、そんなことを思い出せば、いっそうこの人を悲しませることになると思って、
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「生ける世の別れを知らで契りつつ命を人に限りけるかな
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はかないことだった」
とだけ言った。悲痛な心の底は見せまいとしているのであった。
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惜しからぬ命に代へて目の前の別れをしばしとどめてしがな
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と夫人は言う。それが真実の心の叫びであろうと思うと、立って行けない源氏であったが、夜が明けてから家を出るのは見苦しいと思って別れて行った。
道すがらも夫人の面影が目に見えて、源氏は胸を悲しみにふさがらせたまま船に乗った。日の長いころであったし、追い風でもあって午後四時ごろに源氏の一行は須磨に着いた。旅をしたことのない源氏には、心細さもおもしろさも皆はじめての経験であった。大江殿という所は荒廃していて松だけが昔の名残《なごり》のものらしく立っていた。
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唐国《からくに》に名を残しける人よりもゆくへ知られぬ家居《いへゐ》をやせん
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と源氏は口ずさ
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