なかった二人はたまたま得た会合の最初にまず泣いた。宰相は源氏の山荘が非常に唐風であることに気がついた。絵のような風光の中に、竹を編んだ垣《かき》がめぐらされ、石の階段、松の黒木の柱などの用いられてあるのがおもしろかった。源氏は黄ばんだ薄紅の服の上に、青みのある灰色の狩衣《かりぎぬ》指貫《さしぬき》の質素な装いでいた。わざわざ都風を避けた服装もいっそう源氏を美しく引き立てて見せる気がされた。室内の用具も簡単な物ばかりで、起臥《きが》する部屋も客の座から残らず見えるのである。碁盤、双六《すごろく》の盤、弾棊《たぎ》の具なども田舎《いなか》風のそまつにできた物が置かれてあった。数珠《じゅず》などがさっきまで仏勤めがされていたらしく出ていた。客の饗応《きょうおう》に出された膳部《ぜんぶ》にもおもしろい地方色が見えた。漁から帰った海人《あま》たちが貝などを届けに寄ったので、源氏は客といる座敷の前へその人々を呼んでみることにした。漁村の生活について質問をすると、彼らは経済的に苦しい世渡りをこぼした。小鳥のように多弁にさえずる話も根本になっていることは処世難である、われわれも同じことであると貴公子たちは憐《あわれ》んでいた。それぞれに衣服などを与えられた海人たちは生まれてはじめての生きがいを感じたらしかった。山荘の馬を幾|疋《ひき》も並べて、それもここから見える倉とか納屋とかいう物から取り出す稲を食わせていたりするのが源氏にも客にも珍しかった。催馬楽《さいばら》の飛鳥井《あすかい》を二人で歌ってから、源氏の不在中の京の話を泣きもし、笑いもしながら、宰相はしだした。若君が何事のあるとも知らずに無邪気でいることが哀れでならないと大臣が始終|歎《なげ》いているという話のされた時、源氏は悲しみに堪えないふうであった。二人の会話を書き尽くすことはとうていできないことであるから省略する。
 終夜眠らずに語って、そして二人で詩も作った。政府の威厳を無視したとはいうものの、宰相も事は好まないふうで、翌朝はもう別れて行く人になった。好意がかえってあとの物思いを作らせると言ってもよい。杯を手にしながら「酔悲泪灑春杯裏《ゑひのかなしみのなみだをそそぐはるのさかづきのうち》」と二人がいっしょに歌った。供をして来ている者も皆涙を流していた。双方の家司たちの間に惜しまれる別れもあるのである。朝ぼらけの空を行く雁《かり》の列があった。源氏は、

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故郷《ふるさと》を何《いづ》れの春か行きて見ん羨《うらや》ましきは帰るかりがね
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 と言った。宰相は出て行く気がしないで、

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飽かなくに雁の常世《とこよ》を立ち別れ花の都に道やまどはん
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 と言って悲しんでいた。宰相は京から携えて来た心をこめた土産《みやげ》を源氏に贈った。源氏からはかたじけない客を送らせるためにと言って、黒馬を贈った。
「妙なものを差し上げるようですが、ここの風の吹いた時に、あなたのそばで嘶《いなな》くようにと思うからですよ」
 と言った。珍しいほどすぐれた馬であった。
「これは形見だと思っていただきたい」
 宰相も名高い品になっている笛を一つ置いて行った。人目に立って問題になるようなことは双方でしなかったのである。上って来た日に帰りを急ぎ立てられる気がして、宰相は顧みばかりしながら座を立って行くのを、見送るために続いて立った源氏は悲しそうであった。
「いつまたお逢いすることができるでしょう。このまま無限にあなたが捨て置かれるようなことはありません」
 と宰相は言った。

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「雲近く飛びかふ鶴《たづ》も空に見よわれは春日の曇りなき身ぞ
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 みずからやましいと思うことはないのですが、一度こうなっては、昔のりっぱな人でももう一度世に出た例は少ないのですから、私は都というものをぜひまた見たいとも願っていませんよ」
 こう源氏は答えて言うのであった。

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「たづかなき雲井に独《ひと》り音《ね》をぞ鳴く翅《つばさ》並べし友を恋ひつつ
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 失礼なまでお親しくさせていただいたころのことをもったいないことだと後悔される事が多いのですよ」
 と宰相は言いつつ去った。
 友情がしばらく慰めたあとの源氏はまた寂しい人になった。
 今年は三月の一日に巳《み》の日があった。
「今日です、お試みなさいませ。不幸な目にあっている者が御禊《みそぎ》をすれば必ず効果があるといわれる日でございます」
 賢がって言う者があるので、海の近くへまた一度行ってみたいと思ってもいた源氏は家を出た。ほんの幕のような物を引きまわして仮の御禊場《みそぎば》を作り、旅の陰
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