にあるのである。

[#ここから2字下げ]
憂《う》しとのみひとへに物は思ほえで左右にも濡《ぬ》るる袖《そで》かな
[#ここで字下げ終わり]

 とも歌われた。
 このころに九州の長官の大弐《だいに》が上って来た。大きな勢力を持っていて一門郎党の数が多く、また娘たくさんな大弐ででもあったから、婦人たちにだけ船の旅をさせた。そして所々で陸を行く男たちと海の一行とが合流して名所の見物をしながら来たのであるが、どこよりも風景の明媚《めいび》な須磨の浦に源氏の大将が隠栖《いんせい》していられるということを聞いて、若いお洒落《しゃれ》な年ごろの娘たちは、だれも見ぬ船の中にいながら身なりを気に病んだりした。その中に源氏の情人であった五節《ごせち》の君は、須磨に上陸ができるのでもなくて哀愁の情に堪えられないものがあった。源氏の弾《ひ》く琴の音《ね》が浦風の中に混じってほのかに聞こえて来た時、この寂しい海べと薄倖《はっこう》な貴人とを考え合わせて、人並みの感情を持つ者は皆泣いた。大弐は源氏へ挨拶《あいさつ》をした。
「はるかな田舎《いなか》から上ってまいりました私は、京へ着けばまず伺候いたしまして、あなた様から都のお話を伺わせていただきますことを空想したものでございました。意外な政変のために御|隠栖《いんせい》になっております土地を今日通ってまいります。非常にもったいないことと存じ、悲しいことと思うのでございます。親戚と知人とがもう京からこの辺へ迎えにまいっておりまして、それらの者がうるそうございますから、お目にかかりに出ないのでございますが、またそのうち別に伺わせていただきます」
 というのであって、子の筑前守《ちくぜんのかみ》が使いに行ったのである。源氏が蔵人《くろうど》に推薦して引き立てた男であったから、心中に悲しみながらも人目をはばかってすぐに帰ろうとしていた。
「京を出てからは昔懇意にした人たちともなかなか逢《あ》えないことになっていたのに、わざわざ訪《たず》ねて来てくれたことを満足に思う」
 と源氏は言った。大弐への返答もまたそんなものであった。筑前守は泣く泣く帰って、源氏の住居《すまい》の様子などを報告すると、大弐をはじめとして、京から来ていた迎えの人たちもいっしょに泣いた。五節《ごせち》の君は人に隠れて源氏へ手紙を送った。

[#ここから2字下げ]
琴の音にひきとめ
前へ 次へ
全30ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング