なつかしみと柔らかさに満ちた方でましますのである。帝も源氏と同じように、源氏によって院のことをお思い出しになった。尚侍《ないしのかみ》との関係がまだ絶えていないことも帝のお耳にはいっていたし、御自身でお気づきになることもないのではなかったが、それもしかたがない、今はじめて成り立った間柄ではなく、自分の知るよりも早く源氏のほうがその人の情人であったのであるからと思召《おぼしめ》して、恋愛をするのに最もふさわしい二人であるから、やむをえないともお心の中で許しておいでになって、源氏をとがめようなどとは、少しも思召さないのである。詩文のことで源氏に質問をあそばしたり、また風流な歌の話をかわしたりするうちに、斎宮の下向の式の日のこと、美しい人だったことなども帝は話題にあそばした。源氏も打ち解けた心持ちになって、野の宮の曙《あけぼの》の別れの身にしんだことなども皆お話しした。二十日《はつか》の月がようやく照り出して、夜の趣がおもしろくなってきたころ、帝は、
「音楽が聞いてみたいような晩だ」
 と仰せられた。
「私は今晩中宮が退出されるそうですから御訪問に行ってまいります。院の御遺言を承っていまして、だれもほかにお世話をする人もない方でございますから、親切にしてさしあげております。東宮と私どもとの関係からもお捨てしておけませんのです」
 と源氏は奏上した。
「院は東宮を自分の子と思って愛するようにと仰せなすったからね、自分はどの兄弟よりも大事に思っているが、目に立つようにしてもと思って、自分で控え目にしている。東宮はもう字などもりっぱなふうにお書きになる。すべてのことが平凡な自分の不名誉をあの方が回復してくれるだろうと頼みにしている」
「それはいろんなことを大人のようになさいますが、まだ何と申しても御幼齢ですから」
 源氏は東宮の御勉学などのことについて奏上をしたのちに退出して行く時皇太后の兄である藤大納言の息子《むすこ》の頭《とう》の弁《べん》という、得意の絶頂にいる若い男は、妹の女御《にょご》のいる麗景殿《れいげいでん》に行く途中で源氏を見かけて、「白虹《はくこう》日を貫けり、太子|懼《お》ぢたり」と漢書の太子丹が刺客を秦王《しんのう》に放った時、その天象《てんしょう》を見て不成功を恐れたという章句をあてつけにゆるやかに口ずさんだ。源氏はきまり悪く思ったがとがめる必要もなくそのまま素知らぬふうで行ってしまったのであった。
「ただ今まで御前におりまして、こちらへ上がりますことが深更になりました」
 と源氏は中宮に挨拶《あいさつ》をした。明るい月夜になった御所の庭を中宮はながめておいでになって、院が御位《みくらい》においでになったころ、こうした夜分などには音楽の遊びをおさせになって自分をお喜ばせになったことなどと昔の思い出がお心に浮かんで、ここが同じ御所の中であるようにも思召しがたかった。

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九重《ここのへ》に霧や隔つる雲の上の月をはるかに思ひやるかな
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 これを命婦《みょうぶ》から源氏へお伝えさせになった。宮のお召し物の動く音などもほのかではあるが聞こえてくると、源氏は恨めしさも忘れてまず涙が落ちた。

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「月影は見し世の秋に変はらねど隔つる霧のつらくもあるかな
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 霞《かすみ》が花を隔てる作用にも人の心が現われるとか昔の歌にもあったようでございます」
 などと源氏は言った。中宮は悲しいお別れの時に、将来のことをいろいろ東宮へ教えて行こうとあそばすのであるが、深くもお心にはいっていないらしいのを哀れにお思いになった。平生は早くお寝《やす》みになるのであるが、宮のお帰りあそばすまで起きていようと思召すらしい。御自身を残して母宮の行っておしまいになることがお恨めしいようであるが、さすがに無理に引き止めようともあそばさないのが御親心には哀れであるに違いなかった。
 源氏は頭の弁の言葉を思うと人知れぬ昔の秘密も恐ろしくて、尚侍にも久しく手紙を書かないでいた。時雨《しぐれ》が降りはじめたころ、どう思ったか尚侍のほうから、

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木枯《こがら》しの吹くにつけつつ待ちし間《ま》におぼつかなさの頃《ころ》も経にけり
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 こんな歌を送ってきた。ちょうど物の身にしむおりからであったし、どんなに人目を避けてこの手紙が書かれたかを想像しても恋人の情がうれしく思われたし、返事をするために使いを待たせて、唐紙《からかみ》のはいった置き棚《だな》の戸をあけて紙を選び出したり、筆を気にしたりして源氏が書いている返事はただ事であるとは女房たちの目にも見えなかった。相手はだれくらいだろうと肱《ひじ》や目で語っていた。
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どんなに苦しい心を申し上げてもお返事がないので、そのかいのないのに私の心はすっかりめいり込んでいたのです。

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あひ見ずて忍ぶる頃の涙をもなべての秋のしぐれとや見る

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心が通うものでしたなら、通っても来るものでしたなら、空も寂しい色とばかりは見えないでしょう。
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 などと情熱のある文字が列《つら》ねられた。こんなふうに女のほうから源氏を誘い出そうとする手紙はほかからも来るが、情のある返事を書くにとどまって、深くは源氏の心にしまないものらしかった。
 中宮は院の御一周忌をお営みになったのに続いてまたあとに法華経《ほけきょう》の八講を催されるはずでいろいろと準備をしておいでになった。十一月の初めの御命日に雪がひどく降った。源氏から中宮へ歌が送られた。

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別れにし今日《けふ》は来れども見し人に行き逢《あ》ふほどをいつと頼まん
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 中宮のためにもお悲しい日で、すぐにお返事があった。

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ながらふるほどは憂《う》けれど行きめぐり今日はその世に逢ふ心地《ここち》して
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 巧みに書こうともしてない字が雅趣に富んだ気高《けだか》いものに見えるのも源氏の思いなしであろう。特色のある派手《はで》な字というのではないが決して平凡ではないのである。今日だけは恋も忘れて終日御父の院のために雪の中で仏勤めをして源氏は暮らしたのである。
 十二月の十幾日に中宮の御八講があった。非常に崇厳《すうごん》な仏事であった。五日の間どの日にも仏前へ新たにささげられる経は、宝玉の軸に羅《うすもの》の絹の表紙の物ばかりで、外包みの装飾などもきわめて精巧なものであった。日常の品にも美しい好みをお忘れにならない方であるから、まして御仏《みほとけ》のためにあそばされたことが人目を驚かすほどの物であったことはもっともなことである。仏像の装飾、花机《はなづくえ》の被《おお》いなどの華美さに極楽世界もたやすく想像することができた。初めの日は中宮の父帝の御|菩提《ぼだい》のため、次の日は母后のため、三日目は院の御菩提のためであって、これは法華経の第五巻の講義のある日であったから、高官たちも現在の宮廷派の人々に斟酌《しんしゃく》をしていず数多く列席した。今日の講師にはことに尊い僧が選ばれていて「法華経はいかにして得し薪《たきぎ》こり菜摘み水|汲《く》み仕へてぞ得し」という歌の唱えられるころからは特に感動させられることが多かった。仏前に親王方もさまざまの捧《ささ》げ物を持っておいでになったが、源氏の姿が最も優美に見えた。筆者はいつも同じ言葉を繰り返しているようであるが、見るたびに美しさが新しく感ぜられる人なのであるからしかたがないのである。最終の日は中宮御自身が御仏に結合を誓わせられるための供養になっていて、御自身の御出家のことがこの儀式の場で仏前へ報告されて、だれもだれも意外の感に打たれた。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮のお心も、源氏の大将の心もあわてた。驚きの度をどの言葉が言い現わしえようとも思えない。宮は式の半ばで席をお立ちになって簾中《れんちゅう》へおはいりになった。中宮は堅い御決心を兄宮へお告げになって、叡山《えいざん》の座主《ざす》をお招きになって、授戒のことを仰せられた。伯父《おじ》君にあたる横川《よかわ》の僧都《そうず》が帳中に参ってお髪《ぐし》をお切りする時に人々の啼泣《ていきゅう》の声が宮をうずめた。平凡な老人でさえいよいよ出家するのを見ては悲しいものである。まして何の予告もあそばさずにたちまちに脱履の実行をなされたのであるから、兵部卿の宮も非常にお悲しみになった。参列していた人々も同情の禁ぜられない中宮のお立場と、この寂しい結末の場を拝して泣く者が多かった。院の皇子方は、父帝がどれほど御|愛寵《あいちょう》なされたお后《きさき》であったかを、現状のお気の毒さに比べて考えては皆暗然としておいでになった。方々《かたがた》は慰問の御|挨拶《あいさつ》をなされたのであるが、源氏は最後に残って、驚きと悲しみに言葉も心も失った気もしたが、人目が考えられ、やっと気を引き立てるようにしてお居間へ行った。落ち着かれずに人々がうろうろしたことや、すすり泣きの声もひとまずやんで、女房は涙をふきながらあなたこなたにかたまっていた。明るい月が空にあって、雪の光と照り合っている庭をながめても、院の御在世中のことが目に浮かんできて堪えがたい気のするのを源氏はおさえて、
「何が御動機になりまして、こんなに突然な御出家をあそばしたのですか」
 と挨拶を取り次いでもらった。
「これはただ今考えついたことではなかったのですが、昨年の悲しみがありました時、すぐにそういたしましては人騒がせにもなりますし、それでまた私自身も取り乱しなどしてはと思いまして」
 例の命婦《みょうぶ》がお言葉を伝えたのである。源氏は御簾《みす》の中のあらゆる様子を想像して悲しんだ。おおぜいの女の衣摺《きぬず》れなどから、身もだえしながら悲しみをおさえているのがわかるのであった。風がはげしく吹いて、御簾の中の薫香《くんこう》の落ち着いた黒方香《くろぼうこう》の煙も仏前の名香のにおいもほのかに洩《も》れてくるのである。源氏の衣服の香もそれに混じって極楽が思われる夜であった。東宮のお使いも来た。お別れの前に東宮のお言いになった言葉などが宮のお心にまた新しくよみがえってくることによって、冷静であろうとあそばすお気持ちも乱れて、お返事の御挨拶を完全にお与えにならないので、源氏がお言葉を補った。だれもだれも常識を失っているといってもよいほど悲しみに心を乱しているおりからであるから、不用意に秘密のうかがわれる恐れのある言葉などは発せられないと源氏は思った。

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「月のすむ雲井をかけてしたふともこのよの闇《やみ》になほや惑はん
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 私にはそう思えますが、御出家のおできになったお心持ちには敬服いたされます」
 とだけ言って、お居間に女房たちも多い様子であったから源氏は捨てられた男の悲痛な心持ちを簡単な言葉にして告げることもできなかった。

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「大方《おほかた》の憂《う》きにつけては厭《いと》へどもいつかこの世を背《そむ》きはつべき
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 りっぱな信仰を持つようにはいつなれますやら」
 宮の御挨拶は東宮へのお返事を兼ねたお心らしかった。悲しみに堪えないで源氏は退出した。
 二条の院へ帰っても西の対へは行かずに、自身の居間のほうに一人|臥《ぶ》しをしたが眠りうるわけもない。ますます人生が悲しく思われて自身も僧になろうという心の起こってくるのを、そうしては東宮がおかわいそうであると思い返しもした。せめて母宮だけを最高の地位に置いておけばと院は思召したのであったが、その地位も好意を持たぬ者の苦しい圧迫のためにお捨てになることになった。尼におなりになっては后《きさき》としての御待遇をお受けになることもおできにならないであろうし、その上自分までが東宮のお力
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