かねばならないのに、自分の態度から人生を悲観して僧になってしまわれることになってはならぬとさすがに思召すのであった。そうといってああしたことが始終あっては瑕《きず》を捜し出すことの好きな世間はどんな噂《うわさ》を作るかが想像される。自分が尼になって、皇太后に不快がられている后の位から退いてしまおうと、こうこのごろになって宮はお思いになるようになった。院が自分のためにどれだけ重い御遺言をあそばされたかを考えると何ごとも当代にそれが実行されていないことが思われる。漢の初期の戚《せき》夫人が呂后《りょこう》に苛《さいな》まれたようなことまではなくても、必ず世間の嘲笑《ちょうしょう》を負わねばならぬ人に自分はなるに違いないと中宮はお思いになるのである。これを転機にして尼の生活にはいるのがいちばんよいことであるとお考えになったが、東宮にお逢いしないままで姿を変えてしまうことはおかわいそうなことであるとお思いになって、目だたぬ形式で御所へおはいりになった。源氏はそんな時でなくても十二分に好意を表する慣《なら》わしであったが、病気に托《たく》して供奉《ぐぶ》もしなかった。贈り物その他は常に変わらないが、来ようとしないことはよくよく悲観しておいでになるに違いないと、事情を知っている人たちは同情した。
 東宮はしばらくの間に美しく御成長しておいでになった。ひさびさ母宮とお逢いになった喜びに夢中になって、甘えて御覧になったりもするのが非常におかわいいのである。この方から離れて信仰の生活にはいれるかどうかと御自身で疑問が起こる。しかも御所の中の空気は、時の推移に伴う人心の変化をいちじるしく見せて人生は無常であるとお教えしないではおかなかった。太后の復讐心《ふくしゅうしん》に燃えておいでになることも面倒《めんどう》であったし、宮中への出入りにも不快な感を与える官辺のことも堪えられぬほど苦しくて、自分が現在の位置にいることは、かえって東宮を危うくするものでないかなどとも煩悶《はんもん》をあそばすのであった。
「長くお目にかからないでいる間《ま》に、私の顔がすっかり変わってしまったら、どうお思いになりますか」
 と中宮がお言いになると、じっと東宮はお顔を見つめてから、
「式部のようにですか。そんなことはありませんよ」
 とお笑いになった。たよりない御幼稚さがおかわいそうで、
「いいえ。式部は年寄りですから醜いのですよ。そうではなくて、髪なんか式部よりも短くなって、黒い着物などを着て、夜居《よい》のお坊様のように私はなろうと思うのですから、今度などよりもっと長くお目にかかれませんよ」
 宮がお泣きになると、東宮はまじめな顔におなりになって、
「長く御所へいらっしゃらないと、私はお逢いしたくてならなくなるのに」
 とお言いになったあとで、涙がこぼれるのを、恥ずかしくお思いになって顔をおそむけになった。お肩にゆらゆらとするお髪《ぐし》がきれいで、お目つきの美しいことなど、御成長あそばすにしたがってただただ源氏の顔が一つまたここにできたとより思われないのである。お歯が少し朽ちて黒ばんで見えるお口に笑《え》みをお見せになる美しさは、女の顔にしてみたいほどである。こうまで源氏に似ておいでになることだけが玉の瑕《きず》であると、中宮がお思いになるのも、取り返しがたい罪で世間を恐れておいでになるからである。
 源氏は中宮を恋しく思いながらも、どんなに御自身が冷酷であったかを反省おさせする気で引きこもっていたが、こうしていればいるほど見苦しいほど恋しかった。この気持ちを紛らそうとして、ついでに秋の花野もながめがてらに雲林院へ行った。源氏の母君の桐壺《きりつぼ》の御息所《みやすどころ》の兄君の律師《りっし》がいる寺へ行って、経を読んだり、仏勤めもしようとして、二、三日こもっているうちに身にしむことが多かった。木立ちは紅葉《もみじ》をし始めて、そして移ろうていく秋草の花の哀れな野をながめていては家も忘れるばかりであった。学僧だけを選んで討論をさせて聞いたりした。場所が場所であるだけ人生の無常さばかりが思われたが、その中でなお源氏は恨めしい人に最も心を惹《ひ》かれている自分を発見した。朝に近い月光のもとで、僧たちが閼伽《あか》を仏に供える仕度《したく》をするのに、からからと音をさせながら、菊とか紅葉とかをその辺いっぱいに折り散らしている。こんなことは、ちょっとしたことではあるが、僧にはこんな仕事があって退屈を感じる間もなかろうし、未来の世界に希望が持てるのだと思うとうらやましい、自分は自分一人を持てあましているではないかなどと源氏は思っていた。律師が尊い声で「念仏衆生《ねんぶつしゆじやう》摂取不捨《せつしゆふしや》」と唱えて勤行《ごんぎょう》をしているのがうらやましくて、この世が自分に捨てえられない理由はなかろうと思うのといっしょに紫の女王《にょおう》が気がかりになったというのは、たいした道心でもないわけである。幾日かを外で暮らすというようなことをこれまで経験しなかった源氏は恋妻に手紙を何度も書いて送った。
[#ここから1字下げ]
出家ができるかどうかと試みているのですが、寺の生活は寂しくて、心細さがつのるばかりです。もう少しいて法師たちから教えてもらうことがあるので滞留しますが、あなたはどうしていますか。
[#ここで字下げ終わり]
 などと檀紙に飾り気もなく書いてあるのが美しかった。

[#ここから2字下げ]
あさぢふの露の宿りに君を置きて四方《よも》の嵐《あらし》ぞしづ心なき
[#ここで字下げ終わり]

 という歌もある情のこもったものであったから紫夫人も読んで泣いた。返事は白い式紙《しきし》に、

[#ここから2字下げ]
風吹けば先《ま》づぞ乱るる色かはる浅茅《あさぢ》が露にかかるささがに
[#ここで字下げ終わり]

 とだけ書かれてあった。
「字はますますよくなるようだ」
 と独言《ひとりごと》を言って、微笑しながらながめていた。始終手紙や歌を書き合っている二人は、夫人の字がまったく源氏のに似たものになっていて、それよりも少し艶《えん》な女らしいところが添っていた。どの点からいっても自分は教育に成功したと源氏は思っているのである。斎院のいられる加茂はここに近い所であったから手紙を送った。女房の中将あてのには、
[#ここから1字下げ]
物思いがつのって、とうとう家を離れ、こんな所に宿泊していますことも、だれのためであるかとはだれもご存じのないことでしょう。
[#ここで字下げ終わり]
 などと恨みが述べてあった。当の斎院には、

[#ここから2字下げ]
かけまくも畏《かしこ》けれどもそのかみの秋思ほゆる木綿襷《ゆふだすき》かな

[#ここから1字下げ]
昔を今にしたいと思いましてもしかたのないことですね。自分の意志で取り返しうるもののように。
[#ここで字下げ終わり]
 となれなれしく書いた浅緑色の手紙を、榊《さかき》に木綿《ゆう》をかけ神々《こうごう》しくした枝につけて送ったのである。中将の返事は、
[#ここから1字下げ]
同じような日ばかりの続きます退屈さからよく昔のことを思い出してみるのでございますが、それによってあなた様を聯想《れんそう》することもたくさんございます。しかしここでは何も現在へは続いて来ていないのでございます、別世界なのですから。
[#ここで字下げ終わり]
 まだいろいろと書かれてあった。女王のは木綿《ゆう》の片《はし》に、

[#ここから2字下げ]
そのかみやいかがはありし木綿襷《ゆふだすき》心にかけて忍ぶらんゆゑ
[#ここで字下げ終わり]

 とだけ書いてあった。斎院のお字には細かな味わいはないが、高雅で漢字のくずし方など以前よりももっと巧みになられたようである。ましてその人自身の美はどんなに成長していることであろうと、そんな想像をして胸をとどろかせていた。神罰を思わないように。
 源氏はまた去年の野の宮の別れがこのころであったと思い出して、自分の恋を妨げるものは、神たちであるとも思った。むずかしい事情が間にあればあるほど情熱のたかまる癖をみずから知らないのである。それを望んだのであったら加茂の女王との結婚は困難なことでもなかったのであるが、当時は暢気《のんき》にしていて、今さら後悔の涙を無限に流しているのである。斎院も普通の多情で書かれる手紙でないものを、これまでどれだけ受けておいでになるかしれないのであって、源氏をよく理解したお心から手紙の返事もたまにはお書きになるのである。厳正にいえば、神聖な職を持っておいでになって、少し謹慎が足りないともいうべきことであるが。
 天台の経典六十巻を読んで、意味の難解な所を僧たちに聞いたりなどして源氏が寺にとどまっているのを、僧たちの善行によって仏力《ぶつりき》でこの人が寺へつかわされたもののように思って、法師の名誉であると、下級の輩までも喜んでいた。静かな寺の朝夕に人生を観じては帰ることがどんなにいやなことに思われたかしれないのであるが、紫の女王一人が捨てがたい絆《ほだし》になって、長く滞留せずに帰ろうとする源氏は、その前に盛んな誦経《ずきょう》を行なった。あるだけの法師はむろん、その辺の下層民にも物を多く施した。帰って行く時には、寺の前の広場のそこここにそうした人たちが集まって、涙を流しながら見送っていた。諒闇《りょうあん》中の黒い車に乗った喪服姿の源氏は平生よりもすぐれて見えるわけもないが、美貌《びぼう》に心の惹《ひ》かれない人もなかった。
 夫人は幾日かのうちに一段ときれいになったように思われた。高雅に落ち着いている中に、源氏の愛を不安がる様子の見えるのが可憐《かれん》であった。幾人かの人を思う幾つかの煩悶《はんもん》は外へ出て、この人の目につくほどのことがあったのであろう、「色変はる」というような歌を詠《よ》んできたのではないかと哀れに思って、源氏は常よりも強い愛を夫人に感じた。山から折って帰った紅葉《もみじ》は庭のに比べるとすぐれて紅《あか》くきれいであったから、それを、長く何とも手紙を書かないでいることによって、また堪えがたい寂しさも感じている源氏は、ただ何でもない贈り物として、御所においでになる中宮《ちゅうぐう》の所へ持たせてやった。手紙は命婦《みょうぶ》へ書いたのであった。
[#ここから1字下げ]
珍しく御所へおはいりになりましたことを伺いまして、両宮様いずれへも御無沙汰《ごぶさた》しておりますので、その際にも上がってみたかったのですが、しばらく宗教的な勉強をしようとその前から思い立っていまして、日どりなどを決めていたものですから失礼いたしました。紅葉《もみじ》は私一人で見ていましては、錦を暗い所へ置いておく気がしてなりませんから持たせてあげます。よろしい機会に宮様のお目にかけてください。
[#ここで字下げ終わり]
 と言うのである。実際珍しいほどにきれいな紅葉であったから、中宮も喜んで見ておいでになったが、その枝に小さく結んだ手紙が一つついていた。女房たちがそれを見つけ出した時、宮はお顔の色も変わって、まだあの心を捨てていない、同情心の深いりっぱな人格を持ちながら、こうしたことを突発的にする矛盾があの人にある、女房たちも不審を起こすに違いないと反感をお覚えになって、瓶《かめ》に挿《さ》させて、庇《ひさし》の間《ま》の柱の所へ出しておしまいになった。
 ただのこと、東宮の御上についてのことなどには信頼あそばされることを、丁寧に感情を隠して告げておよこしになる中宮を、どこまでも理智《りち》だけをお見せになると源氏は恨んでいた。東宮のお世話はことごとく源氏がしていて、それを今度に限って冷淡なふうにしてみせては人が怪しがるであろうと思って、源氏は中宮が御所をお出になる日に行った。まず帝《みかど》のほうへ伺ったのである。帝はちょうどお閑暇《ひま》で、源氏を相手に昔の話、今の話をいろいろとあそばされた。帝の御容貌は院によく似ておいでになって、それへ艶《えん》な分子がいくぶん加わった、
前へ 次へ
全7ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング