しいことはございません」
 と大臣は言ってもまた泣くのである。
「つまらない忖度《そんたく》をして悲しがる女房たちですね。ただ今のお言葉のように、私はどんなことも自分の信頼する妻は許してくれるものと暢気《のんき》に思っておりまして、わがままに外を遊びまわりまして御無沙汰《ごぶさた》をするようなこともありましたが、もう私をかばってくれる妻がいなくなったのですから私は暢気な心などを持っていられるわけもありません。すぐにまた御訪問をしましょう」
 と言って、出て行く源氏を見送ったあとで、大臣は今日まで源氏の住んでいた座敷、かつては娘夫婦の暮らした所へはいって行った。物の置き所も、してある室内の装飾も、以前と何一つ変わっていないが、はなはだしく空虚なものに思われた。帳台の前には硯《すずり》などが出ていて、むだ書きをした紙などもあった。涙をしいて払って、目をみはるようにして大臣はそれを取って読んでいた。若い女房たちは悲しんでいながらもおかしがった。古い詩歌がたくさん書かれてある。草書《そうしょ》もある、楷書《かいしょ》もある。
「上手《じょうず》な字だ」
 歎息《たんそく》をしたあとで、大臣はじ
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