て手を引き入れようとするのについて源氏は御簾の中へはいって来た。
「もう私だけがあなたを愛する人なんですよ。私をお憎みになってはいけない」
 源氏はこう言っている。少納言が、
「よろしくございません。たいへんでございます。お話しになりましても何の効果《ききめ》もございませんでしょうのに」
 と困ったように言う。
「いくら何でも私はこの小さい女王さんを情人にしようとはしない。まあ私がどれほど誠実であるかを御覧なさい」
 外には霙《みぞれ》が降っていて凄《すご》い夜である。
「こんなに小人数でこの寂しい邸《やしき》にどうして住めるのですか」
 と言って源氏は泣いていた。捨てて帰って行けない気がするのであった。
「もう戸をおろしておしまいなさい。こわいような夜だから、私が宿直《とのい》の男になりましょう。女房方は皆|女王《にょおう》さんの室へ来ていらっしゃい」
 と言って、馴《な》れたことのように女王さんを帳台の中へ抱いてはいった。だれもだれも意外なことにあきれていた。乳母は心配をしながらも普通の闖入者《ちんにゅうしゃ》を扱うようにはできぬ相手に歎息《たんそく》をしながら控えていた。小女王は恐ろしがってどうするのかと慄《ふる》えているので肌《はだ》も毛穴が立っている。かわいく思う源氏はささやかな異性を単衣《ひとえ》に巻きくるんで、それだけを隔てに寄り添っていた。この所作がわれながら是認しがたいものとは思いながらも愛情をこめていろいろと話していた。
「ねえ、いらっしゃいよ、おもしろい絵がたくさんある家で、お雛《ひな》様遊びなんかのよくできる私の家《うち》へね」
 こんなふうに小さい人の気に入るような話をしてくれる源氏の柔らかい調子に、姫君は恐ろしさから次第に解放されていった。しかし不気味であることは忘れずに、眠り入ることはなくて身じろぎしながら寝ていた。この晩は夜通し風が吹き荒れていた。
「ほんとうにお客様がお泊まりにならなかったらどんなに私たちは心細かったでしょう。同じことなら女王様がほんとうの御結婚のできるお年であればね」
 などと女房たちはささやいていた。心配でならない乳母は帳台の近くに侍していた。風の少し吹きやんだ時はまだ暗かったが、帰る源氏はほんとうの恋人のもとを別れて行く情景に似ていた。
「かわいそうな女王さんとこんなに親しくなってしまった以上、私はしばらくの間もこんな家へ置いておくことは気がかりでたまらない。私の始終住んでいる家《うち》へお移ししよう。こんな寂しい生活をばかりしていらっしゃっては女王さんが神経衰弱におなりになるから」
 と源氏が言った。
「宮様もそんなにおっしゃいますが、あちらへおいでになることも、四十九日が済んでからがよろしかろうと存じております」
「お父様のお邸《やしき》ではあっても、小さい時から別の所でお育ちになったのだから、私に対するお気持ちと親密さはそう違わないでしょう。今からいっしょにいることが将来の障《さわ》りになるようなことは断じてない。私の愛が根底の深いものになるだけだと思う」
 と女王の髪を撫《な》でながら源氏は言って顧みながら去った。深く霧に曇った空も艶《えん》であって、大地には霜が白かった。ほんとうの恋の忍び歩きにも適した朝の風景であると思うと、源氏は少し物足りなかった。近ごろ隠れて通っている人の家が途中にあるのを思い出して、その門をたたかせたが内へは聞こえないらしい。しかたがなくて供の中から声のいい男を選んで歌わせた。

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朝ぼらけ霧立つ空の迷ひにも行き過ぎがたき妹《いも》が門かな
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 二度繰り返させたのである。気のきいたふうをした下仕《しもづか》えの女中を出して、

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立ちとまり霧の籬《まがき》の過ぎうくば草の戸ざしに障《さは》りしもせじ
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 と言わせた。女はすぐに門へはいってしまった。それきりだれも出て来ないので、帰ってしまうのも冷淡な気がしたが、夜がどんどん明けてきそうで、きまりの悪さに二条の院へ車を進めさせた。
 かわいかった小女王を思い出して、源氏は独《ひと》り笑《え》みをしながら又寝《またね》をした。朝おそくなって起きた源氏は手紙をやろうとしたが、書く文章も普通の恋人扱いにはされないので、筆を休め休め考えて書いた。よい絵なども贈った。
 今日は按察使《あぜち》大納言家へ兵部卿《ひょうぶきょう》の宮が来ておいでになった。以前よりもずっと邸が荒れて、広くて古い家に小人数でいる寂しさが宮のお心を動かした。
「こんな所にしばらくでも小さい人がいられるものではない。やはり私の邸のほうへつれて行こう。たいしたむずかしい所ではないのだよ。乳母《めのと》は部屋《へや》をもらって住んでいれば
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