と言葉数も少なく言って、大納言家の女房たちは今日はゆっくりと話し相手になっていなかった。忙しそうに物を縫ったり、何かを仕度《したく》したりする様子がよくわかるので、惟光《これみつ》は帰って行った。源氏は左大臣家へ行っていたが、例の夫人は急に出て来て逢《あ》おうともしなかったのである。面倒《めんどう》な気がして、源氏は東琴《あずまごと》(和琴《わごん》に同じ)を手すさびに弾《ひ》いて、「常陸《ひたち》には田をこそ作れ、仇心《あだごころ》かぬとや君が山を越え、野を越え雨夜《あまよ》来ませる」という田舎《いなか》めいた歌詞を、優美な声で歌っていた。惟光が来たというので、源氏は居間へ呼んで様子を聞こうとした。惟光によって、女王が兵部卿《ひょうぶきょう》の宮邸へ移転する前夜であることを源氏は聞いた。源氏は残念な気がした。宮邸へ移ったあとで、そういう幼い人に結婚を申し込むということも物好きに思われることだろう。小さい人を一人盗んで行ったという批難を受けるほうがまだよい。確かに秘密の保ち得られる手段を取って二条の院へつれて来ようと源氏は決心した。
「明日夜明けにあすこへ行ってみよう。ここへ来た車をそのままにして置かせて、随身を一人か二人仕度させておくようにしてくれ」
 という命令を受けて惟光は立った。源氏はそののちもいろいろと思い悩んでいた。人の娘を盗み出した噂《うわさ》の立てられる不名誉も、もう少しあの人が大人で思い合った仲であればその犠牲も自分は払ってよいわけであるが、これはそうでもないのである。父宮に取りもどされる時の不体裁も考えてみる必要があると思ったが、その機会をはずすことはどうしても惜しいことであると考えて、翌朝は明け切らぬ間に出かけることにした。
 夫人は昨夜の気持ちのままでまだ打ち解けてはいなかった。
「二条の院にぜひしなければならないことのあったのを私は思い出したから出かけます。用を済ませたらまた来ることにしましょう」
 と源氏は不機嫌《ふきげん》な妻に告げて、寝室をそっと出たので、女房たちも知らなかった。自身の部屋になっているほうで直衣《のうし》などは着た。馬に乗せた惟光だけを付き添いにして源氏は大納言家へ来た。門をたたくと何の気なしに下男が門をあけた。車を静かに中へ引き込ませて、源氏の伴った惟光が妻戸をたたいて、しわぶきをすると、少納言が聞きつけて出て来
前へ 次へ
全34ページ中29ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング