の思わくもはばかる気がなくなって、右近《うこん》に随身を呼ばせて、車を庭へ入れることを命じた。夕顔の女房たちも、この通う男が女主人を深く愛していることを知っていたから、だれともわからずにいながら相当に信頼していた。
 ずっと明け方近くなってきた。この家に鶏《とり》の声は聞こえないで、現世|利益《りやく》の御岳教《みたけきょう》の信心なのか、老人らしい声で、起《た》ったりすわったりして、とても忙しく苦しそうにして祈る声が聞かれた。源氏は身にしむように思って、朝露と同じように短い命を持つ人間が、この世に何の慾《よく》を持って祈祷《きとう》などをするのだろうと聞いているうちに、
「南無《なむ》当来の導師」
 と阿弥陀如来《あみだにょらい》を呼びかけた。
「そら聞いてごらん。現世利益だけが目的じゃなかった」
 とほめて、

[#ここから2字下げ]
優婆塞《うばそく》が行なふ道をしるべにて来ん世も深き契りたがふな
[#ここで字下げ終わり]

 とも言った。玄宗《げんそう》と楊貴妃《ようきひ》の七月七日の長生殿の誓いは実現されない空想であったが、五十六億七千万年後の弥勒菩薩《みろくぼさつ》出現の世
前へ 次へ
全66ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング