《むすこ》の僧が尊い声で経を読むのが聞こえてきた時に、源氏はからだじゅうの涙がことごとく流れて出る気もした。中へはいって見ると、灯をあちら向きに置いて、遺骸との間に立てた屏風《びょうぶ》のこちらに右近《うこん》は横になっていた。どんなに侘《わび》しい気のすることだろうと源氏は同情して見た。遺骸はまだ恐ろしいという気のしない物であった。美しい顔をしていて、まだ生きていた時の可憐《かれん》さと少しも変わっていなかった。
「私にもう一度、せめて声だけでも聞かせてください。どんな前生の縁だったかわずかな間の関係であったが、私はあなたに傾倒した。それだのに私をこの世に捨てて置いて、こんな悲しい目をあなたは見せる」
 もう泣き声も惜しまずはばからぬ源氏だった。僧たちもだれとはわからぬながら、死者に断ちがたい愛着を持つらしい男の出現を見て、皆涙をこぼした。源氏は右近に、
「あなたは二条の院へ来なければならない」
 と言ったのであるが、
「長い間、それは小さい時から片時もお離れしませんでお世話になりました御主人ににわかにお別れいたしまして、私は生きて帰ろうと思う所がございません。奥様がどうおなりになったかということを、どうほかの人に話ができましょう。奥様をお亡《な》くししましたほかに、私はまた皆にどう言われるかということも悲しゅうございます」
 こう言って右近は泣きやまない。
「私も奥様の煙といっしょにあの世へ参りとうございます」
「もっともだがしかし、人世とはこんなものだ。別れというものに悲しくないものはないのだ。どんなことがあっても寿命のある間には死ねないのだよ。気を静めて私を信頼してくれ」
 と言う源氏が、また、
「しかしそういう私も、この悲しみでどうなってしまうかわからない」
 と言うのであるから心細い。
「もう明け方に近いころだと思われます。早くお帰りにならなければいけません」
 惟光《これみつ》がこう促すので、源氏は顧みばかりがされて、胸も悲しみにふさがらせたまま帰途についた。露の多い路《みち》に厚い朝霧が立っていて、このままこの世でない国へ行くような寂しさが味わわれた。某院の閨《ねや》にいたままのふうで夕顔が寝ていたこと、その夜上に掛けて寝た源氏自身の紅の単衣《ひとえ》にまだ巻かれていたこと、などを思って、全体あの人と自分はどんな前生の因縁があったのであろうと、こんな
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