があるが、顔に夜着がさわって声にはならなかった。
「出来心のようにあなたは思うでしょう。もっともだけれど、私はそうじゃないのですよ。ずっと前からあなたを思っていたのです。それを聞いていただきたいのでこんな機会を待っていたのです。だからすべて皆|前生《ぜんしょう》の縁が導くのだと思ってください」
柔らかい調子である。神様だってこの人には寛大であらねばならぬだろうと思われる美しさで近づいているのであるから、露骨に、
「知らぬ人がこんな所へ」
ともののしることができない。しかも女は情けなくてならないのである。
「人まちがえでいらっしゃるのでしょう」
やっと、息よりも低い声で言った。当惑しきった様子が柔らかい感じであり、可憐《かれん》でもあった。
「違うわけがないじゃありませんか。恋する人の直覚であなただと思って来たのに、あなたは知らぬ顔をなさるのだ。普通の好色者がするような失礼を私はしません。少しだけ私の心を聞いていただけばそれでよいのです」
と言って、小柄な人であったから、片手で抱いて以前の襖子《からかみ》の所へ出て来ると、さっき呼ばれていた中将らしい女房が向こうから来た。
「ちょ
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