が各階級別々にさずかる饗宴《きょうえん》の仕度《したく》を内蔵寮《くらりょう》、穀倉院などでするのはつまり公式の仕度で、それでは十分でないと思召して、特に仰せがあって、それらも華麗をきわめたものにされた。
清涼殿は東面しているが、お庭の前のお座敷に玉座の椅子《いす》がすえられ、元服される皇子の席、加冠役の大臣の席がそのお前にできていた。午後四時に源氏の君が参った。上で二つに分けて耳の所で輪にした童形の礼髪を結った源氏の顔つき、少年の美、これを永久に保存しておくことが不可能なのであろうかと惜しまれた。理髪の役は大蔵卿《おおくらきょう》である。美しい髪を短く切るのを惜しく思うふうであった。帝は御息所《みやすどころ》がこの式を見たならばと、昔をお思い出しになることによって堪えがたくなる悲しみをおさえておいでになった。加冠が終わって、いったん休息所《きゅうそくじょ》に下がり、そこで源氏は服を変えて庭上の拝をした。参列の諸員は皆小さい大宮人の美に感激の涙をこぼしていた。帝はまして御自制なされがたい御感情があった。藤壺の宮をお得になって以来、紛れておいでになることもあった昔の哀愁が今一度にお胸へかえって来たのである。まだ小さくて大人《おとな》の頭の形になることは、その人の美を損じさせはしないかという御懸念もおありになったのであるが、源氏の君には今驚かれるほどの新彩が加わって見えた。加冠の大臣には夫人の内親王との間に生まれた令嬢があった。東宮から後宮にとお望みになったのをお受けせずにお返辞《へんじ》を躊躇《ちゅうちょ》していたのは、初めから源氏の君の配偶者に擬していたからである。大臣は帝の御意向をも伺った。
「それでは元服したのちの彼を世話する人もいることであるから、その人をいっしょにさせればよい」
という仰せであったから、大臣はその実現を期していた。
今日の侍所《さむらいどころ》になっている座敷で開かれた酒宴に、親王方の次の席へ源氏は着いた。娘の件を大臣がほのめかしても、きわめて若い源氏は何とも返辞をすることができないのであった。帝のお居間のほうから仰せによって内侍《ないし》が大臣を呼びに来たので、大臣はすぐに御前へ行った。加冠役としての下賜品はおそばの命婦が取り次いだ。白い大袿《おおうちぎ》に帝のお召し料のお服が一襲《ひとかさね》で、これは昔から定まった品である。酒杯を賜わる時に、次の歌を仰せられた。
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いときなき初元結ひに長き世を契る心は結びこめつや
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大臣の女《むすめ》との結婚にまでお言い及ぼしになった御製は大臣を驚かした。
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結びつる心も深き元結ひに濃き紫の色しあせずば
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と返歌を奏上してから大臣は、清涼殿《せいりょうでん》の正面の階段《きざはし》を下がって拝礼をした。左馬寮《さまりょう》の御馬と蔵人所《くろうどどころ》の鷹《たか》をその時に賜わった。そのあとで諸員が階前に出て、官等に従ってそれぞれの下賜品を得た。この日の御|饗宴《きょうえん》の席の折り詰めのお料理、籠《かご》詰めの菓子などは皆|右大弁《うだいべん》が御命令によって作った物であった。一般の官吏に賜う弁当の数、一般に下賜される絹を入れた箱の多かったことは、東宮の御元服の時以上であった。
その夜源氏の君は左大臣家へ婿になって行った。この儀式にも善美は尽くされたのである。高貴な美少年の婿を大臣はかわいく思った。姫君のほうが少し年上であったから、年下の少年に配されたことを、不似合いに恥ずかしいことに思っていた。この大臣は大きい勢力を持った上に、姫君の母の夫人は帝の御同胞であったから、あくまでもはなやかな家である所へ、今度また帝の御愛子の源氏を婿に迎えたのであるから、東宮の外祖父で未来の関白と思われている右大臣の勢力は比較にならぬほど気押《けお》されていた。左大臣は何人かの妻妾《さいしょう》から生まれた子供を幾人も持っていた。内親王腹のは今|蔵人《くろうど》少将であって年少の美しい貴公子であるのを左右大臣の仲はよくないのであるが、その蔵人少将をよその者に見ていることができず、大事にしている四女の婿にした。これも左大臣が源氏の君をたいせつがるのに劣らず右大臣から大事な婿君としてかしずかれていたのはよい一対のうるわしいことであった。
源氏の君は帝がおそばを離しにくくあそばすので、ゆっくりと妻の家に行っていることもできなかった。源氏の心には藤壺《ふじつぼ》の宮の美が最上のものに思われてあのような人を自分も妻にしたい、宮のような女性はもう一人とないであろう、左大臣の令嬢は大事にされて育った美しい貴族の娘とだけはうなずかれるがと、こんなふうに思われて単純な少年の心には藤壺の宮のことばかりが恋しくて苦しいほどであった。元服後の源氏はもう藤壺の御殿の御簾《みす》の中へは入れていただけなかった。琴や笛の音《ね》の中にその方がお弾《ひ》きになる物の声を求めるとか、今はもう物越しにより聞かれないほのかなお声を聞くとかが、せめてもの慰めになって宮中の宿直《とのい》ばかりが好きだった。五、六日御所にいて、二、三日大臣家へ行くなど絶え絶えの通い方を、まだ少年期であるからと見て大臣はとがめようとも思わず、相も変わらず婿君のかしずき騒ぎをしていた。新夫婦付きの女房はことにすぐれた者をもってしたり、気に入りそうな遊びを催したり、一所懸命である。御所では母の更衣のもとの桐壺を源氏の宿直所にお与えになって、御息所《みやすどころ》に侍していた女房をそのまま使わせておいでになった。更衣の家のほうは修理《しゅり》の役所、内匠寮《たくみりょう》などへ帝がお命じになって、非常なりっぱなものに改築されたのである。もとから築山《つきやま》のあるよい庭のついた家であったが、池なども今度はずっと広くされた。二条の院はこれである。源氏はこんな気に入った家に自分の理想どおりの妻と暮らすことができたらと思って始終|歎息《たんそく》をしていた。
光《ひかる》の君という名は前に鴻臚館《こうろかん》へ来た高麗人《こまうど》が、源氏の美貌《びぼう》と天才をほめてつけた名だとそのころ言われたそうである。
底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
1994(平成6)年12月20日56版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年4月5日71版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kompass
2003年4月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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