なことをするものなのだ。人間仲間の手助けを立派にするものなので、男装して男名《をとこな》にして私は早速郵便配達夫の見習ひに行かう。真実《ほんたう》にそれはいいことだとお幸は思ふのでした。
何時の間にかお幸はもう稲荷の森へ入つて来て居ました。虫の声が遠くなつて此処では梟《ふくろふ》が頻《しき》りに啼《な》いて居ます。
「久ちやん。」
お幸はいつものやうに弟へ帰つた合図の声を掛けました。古い戸のがたがたと開けられる音がしました。
「姉さん。」
久吉は草履を突掛けてばたばたと外へ走つて来ました。
「姉さんに云ふことがあるよ。」
「どうしたの、母様《かあさん》は。」
お幸の胸は烈《はげ》しく轟《とどろ》きました。
「母さんのことぢやないよ。姉さんに云ふことがあるつて云つてるのぢやないの。」
「ぢやなあに。」
お幸は弟の肩へ手を掛けて優しく云ひました。
「姉さん今日はお芋が焼いてあるよ。」
「そんなこと。」
「だつて姉さんはお腹《なか》が空《す》いて居るのぢやないか、僕《ぼく》知つてるよ。」
久吉は恨めしさうでした。
「誰《だれ》に聞いたの。」
「中村さんの音作《おとさく》さんに聞いたよ。今夜だつて食べさせないだらうつて。姉さんはもう我慢が出来まいつて。」
「あなた、母さんに話して、そのこと。」
「いいえ。けれどお芋は母さんに云つて焼いたのだからいいよ。」
「さう、ありがたうよ。久ちやん。」
「早く行かう姉さん。」
久吉に袖《そで》を引かれた時に、お幸は郵便配達夫になることを此処《ここ》で弟と相談して見ようと思つて居たことを思ひ出しましたが、其儘《そのまま》なつかしい母の顔のある家の中に入つて行きました。
二人の母親のお近《ちか》は頼まれ物の筒袖《つつそで》の着物へ綿を入れた所でした。
「唯今《ただいま》、母様《かあさん》、こんな遅くまでよくまあお仕事。」
とお幸は口早に云ひました。
「お帰り。道は淋《さび》しかつたらうね。」
「月夜ですもの提灯《ちやうちん》は持たないでもいいし。」
久吉が暗い台所から持ち出して来た盆からは餓《う》ゑたお幸に涙を零《こぼ》させる程の力のある甘い匂《にほ》ひが立つて居ました。お幸は弟の好意を其儘《そのまま》受けて物も云はずその焼芋を食べてしまひました。久吉はお茶の用意もしてくれました。
「私《わたし》が作つたものだもの、そんな
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