、鏡子の良人《をつと》の靜《しづか》の甥で、鏡子よりは五つ六つ年下の荒木|英也《ひでや》と云ふ文学士とである。畑尾は何かを聞いた英也に、
『ああさうです、さうです。此処《こゝ》に来てゐる筈《はず》です。』
と[#「と」は底本では「ど」]点頭《うなづ》きながら云つて、つと立つて戸口を開《あ》けて外へ出た、英也も続いて出て行つたらしい、白つぽい長《なが》外套の裾が今目を過《よぎ》つたのは其《その》人だらうと鏡子は身を横《よこた》へた儘で思つて居た。目の半《なかば》は氷を包んで額へ置いたタオルで塞がれて居るのである。
『あつ、坊《ぼつ》ちやんが来やはつた。』
遠い所でかう云つた畑尾の声《こひ》[#ルビの「こひ」はママ」が鏡子の耳に響いた。迸《ほどばし》るやうな勢《いきほひ》で涙の出て来たのはこれと同時であつた。暫くしてから氷に手を添へた心程《こゝろほど》身を起して気恥《きはづか》しさうに鏡子が辺《あたり》を見廻した時、まだ新しい出迎人《でむかへにん》も旧《もと》の伴《つれ》の二人も影は見えなかつた。国府津で一緒になつた新聞記者が二人|向側《むかふがは》に腰を掛けて居るので、この人|等《ら
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