さうなのでせう。玉川の方でも乳《ちゝ》は一年|限《ぎ》りで廃《よ》して居たのだつたのにね。』
 かう云ひながら末の出す赤い盆にてつせんの花の描《か》いた茶碗を載せた。
『さあ御飯を食べませう。』
 お照は乳房《ちぶさ》をもぎ放して榮子を下に置いた。また泣いて居たのを、
『ばつたりおだまり。』
 と叔母に云はれるのと一緒に声を飲んだ子がをかしくて鏡子は笑ひ出したく思つた。後《おく》れて来た花木が、
『あら、叔母さん嘘、お芋のおみおつけだと云つたのに。』
 と云つて汁椀の中を箸で掻き廻して居る。
『八つ頭と云つてこれもお芋ですよ。』
 と母親が云つた。
『叔母さんは嘘つきですとも。』
 と云つたお照は目に涙を溜めて居た。鏡子は京都者の軽い意味で云ふ横着と云ふ言葉が、東京者に悪い感じを与へるのと、東京の人が軽い意でちよくちよく嘘と云ふ言葉を遣ふのが京の人に不快を覚えさすのとは、一寸《ちよつと》説明した位《ぐらゐ》で分らない事だから、こんな時には黙つて居るより仕方がないと思つて居る。そしてこれからの困りやうが思ひ遣られるのであつたが、留守のうち、過去と云ふ事は思つて見たくなかつた。それでなくとも自分は彼方《あちら》に居た六ケ月の間、心の中で毎日子に跪《ひざまづ》いて罪を詫びない日はなかつたのであるからと思つて居た。榮子は御飯が熱いから厭《いや》、冷《つめた》いからいけないと三度程も替へさせてやつと食べにかゝつて居るのである。それは母を見ぬやうに目を閉《ふた》いで口を動《うごか》して居るのである。
『私を見るのが厭《いや》で目を閉《ふた》いで居るのね。』
『ふ、ふ。』
 とお照は笑つて、
『榮ちやん、好《い》い顔をなさいよ。あなたは真実《ほんとう》に可愛い表情をする人ぢやありませんか。』
 と云つて居た。
 書斎へ来て新聞を見ようとして、自身の事の出て居るのに気が附いた鏡子は、三四種の新聞を後《うしろ》の靜《しづか》の机の上へそのまゝ載せた。[#底本には「』」があるが除いた]
『お早う。』
 瑞木が挨拶に来た。花木も晨も来た。
『何故《なぜ》御挨拶に行《ゆ》けないのです。よくおしやべりをする口で。』
 お照の声が不意に書斎の隣で起つて、続いてぴしやり、ぴしやりと子の頭《かしら》を打つ音が鏡子に聞《きこ》[#ルビの「きこ」は底本では「こ」]えた。
『いやだあ、しない、しない。』
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