、第3水準1−90−51]《おとがひ》をべたりと襟に附けて、口笛を吹くやうな口をして吐息《といき》をした。お照が何《なに》と云つて慰めたものかと思つて居ると、俄に鏡子が、
『お照さん、そんなこと書いてあると憎まれるわ。』
 と云つた。併《しか》も少し高調子《たかでうし》であつたからお照は一寸《ちよつと》どきまぎした。
『さうでせうか。』
『はがして頂戴よ。畑尾さん、一寸《ちよいと》。』
 鏡子は縁側で滿と戯れて居た畑尾にも声をかけた。
『はい。』
 畑尾は直《す》ぐ鏡子の傍へ来た。
『あのう、清さんが心配してお逢ひ致さずとか書いて下すつたのですつて、けれど気の毒ですから私逢ひますわ。はがして来て頂戴よ。』
『さうですか。よろしうおます。』
 畑尾は立つて行つた。
『母《かあ》さん。僕達のおみやげは未《ま》だ来ないの。』
 と云つて健が来た。
『さあ、母《かあ》さんには分らないわ。どの荷物が先に来たのでせう。ねえ、お照さん。』
『三つ程だけですよ。お座敷に御座います。』
『後《あと》にしませう。皆来たら母《かあ》さんが出して上げます、直《す》ぐ。』
『つまんないの。』
 と云つて健が出て行つた。
『兄《にい》さん、未《ま》だお土産が出されないんだつて。』
 と健が兄に云つて居る声が耳に入《はい》ると、思ひ出したやうに鏡子は立つて行つて、畑尾が持つて来た座敷の床の間に置いた影を見た絵具箱の二つからげたのを取つて来た。
『滿さん、来てごらん。』
『なあに、母《かあ》さん。』
『この大きい方があなたの絵具箱ですよ。あなたに上《あげ》るのよ。』
 紐を解きながらさう云つた。
『さう、母《かあ》さん。』
『うれしいこと、滿さん。』
『ふん、嬉しいなあ。』
『好《い》いのよ、大きくなる迄使へるのよ。』
『早く中を見せて頂戴よ、叔母さん。』
『叔母さんは彼方《あちら》へいらしつたぢやないの。』
『ふん、母《かあ》さんだ。間違つちまふ。厭《いや》だなあ。』
 と滿が云つた。母の手から貰つて横に糸で結《ゆは》へ附けてある鍵で箱の中を開《あけ》やうとするのであつたが、金具は通つて来た海路《かいろ》の風の塩分で腐蝕して鍵が何方《どつち》へも廻らない。
『なあに、兄《にい》さん。』
『私にも見せて頂戴。』
 と云つて双子《ふたご》が出て来た。晨もそつと後《あと》から随《つ》いて来た。
『花木
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