めたこともあった。
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しかし人知れず久しい内省に耽《ふけ》った後で、私は女性の位地がこんなにまで低落したのは、その原因を男子の横暴にのみ帰しがたいことを知った。女性の頭脳は遠い昔において或進化の途中に低徊《ていかい》したまま今日に到った観がある。私は女性が本質的に男子に比して劣弱なものであるとは思わない、しばしば天才婦人の現われるという事実が女性もまた男子と対等に進化し得られる素質を備えていることを暗示しているのであるが、さはいえ古今の一般女子を通じてその直観力の浅さ、その理性の鈍さ、その意志の弱さを思えば、とても男子の対等な伴侶となることの出来ないのは勿論、男子の足手まといとなって悲惨な屈従の生を送らねばならないのは当然女子自身の受くべき応報であった。私は微力を測らずして一躍男子の圧抑から脱《のが》れようとする痩《やせ》我慢を恥じねばならなかった。私は瞭然《はっきり》と女性の蒼白《そうはく》な裸体を見ることが出来た。
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私は女性の位地を高めようとするには、女性が互に現在の自己の暗愚劣弱を徹底して自覚することがその第一歩であると確信するに到った。私は最近四、五年来その事を筆にして同性の参考に供えたのみならず、先ず出来るだけ私自身を修めることに励んで来た。私は自分の知識欲と創作欲とを私の微力の許す限り充実させることに力めて来た。
私はまた平安朝の才女たちの生活から暗示を得て、女子の生活の独立は、女子自ら経済上に独立することが重大な一因であると知って世の職業婦人に同情し、婦人の職業が増加して行くのを喜び、教育を受けた若い婦人が進んでそれらの職業に就くという新しい風潮を祝福した。そして私もまた自分の職業を以て一家の経済を便じることに苦心して来た。
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私は近年欧洲へ旅行するまでは、日本という世界の片隅にいて世界に憬《あこが》れている一人の世界の浮浪者であった。日本よりも世界の方がより多くなつかしかった。しかるに欧州の旅行中、到る処で私一人が日本の女を代表しているような待遇を受けるに及んで、最も謙虚な意味で私は世界の広場にいる一人の日本の女であることをしみじみと嬉しく思った。私の心は世界から日本へ帰って来た。私は世界に国する中で私自身に取って最も日本の愛すべきことを知った。私自身を愛する以上は私と私の同民族の住んでいる日本を愛せずにいられないことを知った。そして日本を愛する心と世界を愛する心との抵触しないことを私の内に経験した。
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欧洲の旅行から帰って以来、私の注意と興味とは芸術の方面よりも実際生活に繋《つな》がった思想問題と具体的問題とに向うことが多くなった。私は芸術上の述作を読む場合にも芸術的趣味の勝《まさ》ったものよりは生活的実感の勝ったものを余計に好むようになった。忙《せわ》しい中で新聞雑誌の拾い読みをするにも、芸術上の記事を後廻しにして欧洲の戦争問題や日本の政治問題に関連した記事を第一に読むという有様である。
これは私の心境の非常な変化である。私は最近一両年の間に、日本人の生活を、どの方面からも改造することに微力を添えるのでなければ、日本人としての私の自我が満足しないのを朧《おぼ》ろげに感じるまでに変化しているのであった。
痴鈍な私は幾多の迷路を迂回して今頃ようやく祖国の上に熱愛を捧《ささ》げる一人の日本人となった。
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第三十五議会の解散は突如として私の意識を緊張させ、祖国に対する私の熱愛を明らかに自覚させた。否、この度の解散は微弱な私一人のためのみならず、日本人全体のために日本人自らが励声一番した「気を附け」の号令ではなかったか。
明治の末期このかた、妥協に妥協を重ね、虚偽に虚偽を重ねた日本人の生活は、今までに腐敗の頂点に達して、日本人自ら内部の空虚と外面の醜汚《しゅうお》とに不満を感じ、誠実に満ちた真剣の生活を無意識に期待している折から、全日本を腐敗させた病毒の府である衆議院の崩壊したことは、独り政界のみならず、あらゆる社会の惰気と腐敗とを一掃して、日本人の生活を積極的に改造する大正維新の転機が到来したことの吉兆《きっちょう》である気がしてならぬ。国民はこの政界の颶風《ぐふう》を切掛《きっかけ》に瞭然《はっきり》と目を覚し、全力を緊張させて久しくだらけていた公私の生活を振粛しようとするであろう。議会に多数を制していた政府反対党の人々も、大隈内閣の与党と称せられる人々も、もし一片の良心を存しているなら、今更のように時代の激変に驚いて、国民の前に自分たちの過去の積悪を愧《は》じ入ると共に摯実《しじつ》な内省の人に帰らざるを得ないであろう。そして時代の腐敗に愛想をつかして常に傍観者の態度を取っていた清節|孤痩《こ
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