人の代表者として議会に送ることを選挙人に激励することが必要である。
私は候補者の家庭にある婦人たちが選挙運動に花々しく活動する現象を喜ぶものであるけれども、かの婦人たちは自然「わが仏尊し」の偏愛を免れかねて選良の精神に悖《もと》る恐れがある。それに比べると選挙人の家庭にあって候補者の優劣を批判しつつ選挙人の権利を擁護する婦人たちはあくまでも公平の見識を保つことが出来る訳である。私はあなたがたが「内助」の特権を巧みに運用して、合理的の選挙を日本の政界に実現せしめる熱心を示されることをひたすら熱望する。
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日本における婦人団体で最も多数の婦人を包容しているものに愛国婦人会がある。愛国婦人の名は美くしくかつ堂々としている。しかしその多数の会員がどれだけ愛国の意義を自覚していられるかは疑わしい。もし官僚に指揮せられて軍国の際にばかり器械的に公事に動作するに過ぎないようであるなら時代遅れの婦人団体であり、愛国の実が余りに貧弱である。今日において愛国の精神ある婦人は民本主義の上に立って男子の政治道徳を監視するほどの意気と、男子の企てる政界の改造を激励するまでの公憤と実行が伴わねばならぬ。それでなくて愛国をいうのは畢竟《ひっきょう》大人の女の飯事《ままごと》ではないか。
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私は選挙人の家庭にある婦人たちになお一つの希望がある。それは代議士候補者としていわゆる優良な新人才の資格を選ぶ一カ条に是非とも婦人に対する素行の端正であることを加えて欲しい。明治維新の元勲と称せられる政治家が悉《ことごと》くこの点に欠けていた。そして次に来《きた》った代議士という政治家の階級がまた明治元勲の悪風に感化せられて今日に及んだ。東京初めその他の都市において芸妓《げいぎ》という売笑婦の営業が今日のように繁昌《はんじょう》を極めるに到った根源は彼ら政治家の堕落に由来するのである。重要な政治問題が売笑婦の出入する家で下相談を開かれるというような奇怪な事象を過去四十余年来しばしば繰返して恥じなかった。地方から来る代議士が議会の開期間東京で妾《しょう》を抱《かか》えるというような事は今は何人《なんぴと》も見て怪まないほどになった。そういう素行の堕落はやがて彼ら旧式政治家の性格の不誠実不謹慎を自白しているものである。そして彼らの素行の堕落がどれだけ世の子女の風儀に悪影
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