作であるという差別はありません。私は文化生活に役立つ上において等しく相対的の価値を持っているものであると考えます。自己の能力に応じ、自ら認めて受持つ所の分業ですから、何人《なんぴと》もその分業に特権を要求する者もなく、また役不足をいう者もありません。これまでは経済的労作を以て精神的労作よりも劣ったもの、もしくは第二次的のものとし、あるいは前者は後者の生活の手段であるという風に卑下して考えていました。私はこの労作のいずれかの一方を欠いた文化生活というものが成立しようとは思いません。文化生活の内容は当然この二つの労作を要素としているものです。二つながら手段でなくて目的です。
文化主義の生活を実現する社会には、一人としてこの労作の義務を負担しないものはありません。この義務を生存の権利として要求します。何人からも強いられず、何人にも強いず、各自が自発的に権利として要求する所の社会的奉仕です。かくする事に由って、人は互に自己の個人的存在の理由を充実し、生き甲斐のある人生を享楽するのです。
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人類の感情は次第にこの文化主義の実現に向って傾動しています。しかしこれに逆行する反
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