であって、工場や会社の労働者のように集団的行動を為《な》しがたい者です。労働者は工場労働者ばかりと限らず、私たちと同じような単独無勢力の労働者の方が社会には多いのです。こういう労働者は大挙結束して資本家に迫るだけの威力を持たないのですから、工場労働者が賃銀値上の運動に成功する日にも、依然として不当に少く支払われて、それに我慢していねばならない上に、更に間接に工場労働者の賃銀値上が影響して生活の必需品に対し、一層不当に多く支払わねばならないという二重三重の苦境に立たせられます。同じ労働階級でありながら、その中に、更に特権階級と無特権階級とが併存するという事は、決して正義に合したことだといわれません。今日同盟罷工に成功しつつある工場労働者の中の聡明な人たちがもしこの事に想い到るならば、その自家の行為が同じ階級の中の大多数者の生活を一層困難に導く結果を見て、意外の感に打たれるのみならず、その行為が資本家の行為と纔《わず》かに五十歩百歩の差を以て利己的行為たるを免れないことに赤面せねばならないでしょう。

       *

 しかし階級闘争が賃銀の値上を越えて、その本体たる利潤の争奪戦にまで向上する日が遠からず到来するにせよ、そうしてあるいはそれが露西亜の過激派のように、労働階級の勝利に帰する日があるにせよ、私はそれを決して望ましい事だとは考えないのです。それは反動の社会です。極端なる資本家階級の横暴に代えるに、極端なる労働階級の横暴を以てする社会です。私の理想はそういう衡平《こうへい》を失した顛倒《てんとう》生活の外にあります。私がどうせ一度来る階級闘争なら、それをなるべく早く穏和な方法で通過させたいと望むのはこれがためです。

       *

 私は階級闘争を出来るだけ早く緩和する方法として、資本階級の絶滅を計ると共に、労働階級の絶滅をも併せて計る外はないと思います。両階級が対立して存在する限り、いずれかの一方が代って支配者の地位に就くことを要求し、特権を占有する者と第二次的人格者として隷属する者との嫉視争闘の断える機会は永久に来ないでしょう。
 茲《ここ》に到って、私は本文の初めに述べたような文化主義の理想に由って、人類生活の精神と組織とを根本的に改造する必要を切実に感じます。
 文化主義の社会には、唯だ文化生活の建設に努力し、協力し、貢献する労作者ばかりがあり
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