対の利己的感情がまだ多分に残っていますから、最近の大戦のような文化生活の破壊を試みる一大蛮行が突如として発生もしましたが、人は到底野獣の生活に還元されるものでなく、かえってこの大戦から受けた刺戟に由って、世界は一つの大きな自覚を加え、――それはあたかも大火に遭《あ》った都会が、その莫大な災厄に由って建築の上にかねて計画していた新しい理想を実現する機会を見出し、都会の面目を一新するように――文化生活の方へ在来の生活を急に躍進させるのに必要な一つの転機を作ったと思います。
 その中にも最も偉大な自覚であると思うのは、民衆が自己の個性の威厳と力量とに、一層顕著に目覚めて来たことです。例えば労働者がその集団を以てすれば、資本家階級に対抗して優に対等の争闘的実力を成立し、久しく従属的奴隷的の階級として資本家の圧迫の下に小《ちいさ》くなっていた屈辱的地位から解放される見込があるという確信を持つに到ったことなどは、実に驚くべき民衆の自覚を証明する現象の一つだと思います。
 この現象は、巴里《パリイ》の平和会議において、我国の講和委員たちが「資本家と労働者との関係が世界とはちがった別種の道徳の中に調和されている」と述べた所の我国にも発生して来ました。最近において東京に起った活版職工その他の幾多の同盟罷工は、この現象の外に何を語るでしょうか。

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 武力に訴える人類間の闘争は独墺の屈服に由って一段落がついたようですが、望む所の平和はまだ容易にその曙光《しょこう》を示しません。今や武力の闘争に代る貧富の階級闘争が戦前よりも幾多の勢力を以て我国にも押寄せて来ました。
 これまでの労働者が企てた階級闘争は本能的、盲目的のものでした。反射的、ヒステリイ的のものでした。彼らは敵についても、味方についても、その実力を知らず、その要求が一時的の不平に発し、その行動が個人的に偏して、多数の利害を念とする協同作用が欠けていましたから、資本家の慈善主義に感激したり、警察官や軍隊の威圧に挫折したりして、たわいもない結果に終る場合が多かったようですが、最近の同盟罷工には、労働者に知識があり、自制があって、その要求が或程度の合理的基礎を備え、その行動が自制と組織とを持つようになりました。これは労働者の非常な進歩です。こういう聡明なかつ道徳的な労働運動に対しては、第一に一般社会がこれに同情して
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