う問題に目を閉じているようなことがあれば、それは国民としての権利を行使する義務を怠《おこた》ったもので、新しい国民道徳からいえば罪悪の一種に当ります。
私はこの問題について自分だけの感想を述べようと思います。
先ず私の戦争観を述べます。「兵は凶器なり」という支那の古諺《こげん》にも、戦争を以て「正義人道を亡す暴力なり」とするトルストイの抗議にも私は無条件に同意する者です。独逸《ドイツ》流の教育を受けた官僚的学者にはこれを以て空想的戦争観とする人ばかりのようですが、一人|福田徳三《ふくだとくぞう》博士は「これを個人の間において言うも、相互間の親密を増進し、意志の疏通《そつう》を計るがために、先ず人を殴打するということのあるべき道理は決してない。国際間においても干戈《かんか》を以て立つということは、既に平和の破壊であって、正義人道とは全く矛盾した行動である。それ故に如何なる口実の下においても、戦争たる以上は正義人道の上から見ると変則であるといわねばならぬ。実に戦争その物が正義人道を実現するものでないことは多言するまでもない」と本月の『太陽』で述べられたのが光輝を放って私の眼に映じます。
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