るとか、家宅捜索を受けたとか、度々《たび/\》米何《こめなに》の名は新聞に伝へられましたから、そんな意味に於《おい》ての名はある人なのでせう。
十
光《ひかる》はどう大人にして好《い》いのでせう。親は二人あると思つてもこのことは考へなければならないのです。翅《はね》を持たないだけの天使は人間界の罪悪を知りもしなければ、それに抵抗する準備もありません。私は心細くて心細くてなりません。光《ひかる》はまだ子は母より生れるものとより他《た》を知りません。同じ家に居るからと云つて子に父の遺伝があるなどヽ云ふことは不思議なことではないかと、この間も茂《しげる》に語つて居るのを聞きました。それは結婚と云ふことがあるからであらうと思ふがと、斟酌《しんしやく》をして居るやうな返事のしかたを弟はして居ました。茂《しげる》の懐疑は光《ひかる》のそれに比べられない程に根底が出来て居るらしいのです。弟は両親が兄に対する細心な心遣ひを知つて居ますから、自分は自分、兄は兄として別々にして置かうと思つて居るらしいのです。光《ひかる》はそんなのですから、荒々しくて優しい趣味の乏しく思はれるやうな男の友より女の友と遊ぶのを悦《よろこ》んで居ます。綺麗だから欲《ほ》しいと云ふものですから、私は叱ることもようせずに、花樹《はなき》や瑞樹《みづき》に遣るやうな小切れを光《ひかる》にも分けて与へてあるのです。色糸《いろいと》なども持つて居ます。平生《ふだん》はそれを出して遊ばうとはしませんが、玩具《おもちや》棚の一番下にある黒い箱がそれです。女の友達の来て居る時に刺繍《ぬひ》を拵《こしら》へて遣つたり、人形を作つたりしてやることがあるのです。女も交《まじ》つて遊ぶ学校へ入つて居たなら、光《ひかる》も運動場の傍観者ではなかつたかも知れません。このことは性の別がはつきりと意識される日に直ることであらうと思ひます。光《ひかる》はまた男性的でないのではありません。あの大様《おほやう》な生々《いき/\》とした線で描《か》く絵を見て下さい、光《ひかる》の書いて居る日記を見て下さい、光《ひかる》は母親の羨《うらや》んで好《い》い男性です。私が光《ひかる》に危《あやぶ》みますのは異性に最も近い所で開く性の目覚《めざめ》です。この間私は電車が来ないために或停留場に二十分余りも立つて待つて居ましたが、丁度|祭日《まつりび》であつたその夕方に、綺麗に装《よそほ》はれた街の幼い男女《なんによ》は並木の間々《あひだ/\》で鬼ごつこや何やと幾団《いくだん》にもなつて遊んで居ました。その子等の絶えず口占《くちずさみ》のやうにしト云つて居ますことは、二字三字活字になつて本の中に交つても発売禁止を免れることの出来ないやうな言語なのです。そればかりなのです。恐《おそろ》しい都、悲しい都、早熟な人間の居る南洋の何やら島《じま》の子も五つ六つで斯《か》うなのであらうかと、私は青ざめて立つて居ました。性欲教育と云ふことはその子等の親達には考へるべき問題でないでせうが、私等のためには重大なことなのです。よく考へて遣つて下さいな。
光《ひかる》のことを思つて居ますうちに、私の心は四郎のことを少し云はないでは居られないやうになりました。私は四郎の生立《おひたち》をよう見ないのでせうか。五つ六つ、七八《なヽや》つで母親を亡くした人を見ては、光《ひかる》もああなるのではあるまいかと運命を恐れながら漸《やうや》く十三歳《じうさん》に迄なるのを見ました。四郎は二歳《ふたつ》ではありませんか、光《ひかる》と同じ顔をした同じやうな性質を持つて生れた四郎を、私はどうかするともう十三歳《じうさん》に迄してあると云ふやうな誤つた安心を持つて見て居なかつたでせうか。四郎が二歳《ふたつ》であることを思ふと私は死なれない、死にともない。
雑記帳は唯《た》だこればかしでもう白い処《ところ》がなくなりました。後《あと》を書いて置くかどうか、よく解りません。[#地付きで](完)
底本:「読売新聞」読売新聞社
1914(大正3)年10月11日〜23日(全10回連載)
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。(旧字を新字にあらためましたが、旧仮名づかいには変更を加えませんでした。総ルビをパラルビにあらためました。)
※「井」は「ウイ」、「こと」の変体仮名は「こと」、二の字点は「ヽ」にそれぞれ書き換えました。(一般には、片仮名用の繰り返し記号として用いられる「ヽ」が、底本では平仮名のルビにも使用されていることを踏まえ、二の字点の代替には「ヽ」を用いました。)
※底本は「入る」に「《はい》る」とルビを振っていましたが、「《はひ》る」としました。
※本作品中
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