の人等には曖昧なことを云つて口を閉《とざ》させました。けれども四つ五つの話から見たくない全体も目に描かれて、悲しいことは同じだけの悲しみを私にさせます。私は留守中のお艶《つや》さんのなすつた総《すべ》てを決して否定しては居ません。唯《た》だあの人には父に似た愛はあつても母らしい愛に似たものもなかつたのが子供等の不幸だつたのです。巴里《パリー》の下宿で毎日帰りたいと泣くやうになりましたのは、子供等の心が私に通じたのであると、私はこれまでの経験の中でこのことだけを神秘的なことと思つて居ます。お艶《つや》さんがお去りになつた翌日、光《ひかる》が朝のお膳に向ひながらぼんやりとして居ますのを、どうしたかと聞きますと、××の育児園の生徒は可哀相《かあいさう》だ、今日《けふ》からは僕達のやうに叔母さんから苛《いぢ》められるだらうからと云ふのです。私は顔を覆ふて泣きました。でも母様《かあさん》が生き返つて来たから好かつたではないかと私は云つて慰めました。生き返ることの出来ない処《ところ》にそれが行つて居たのでしたらどうでせう。里から取り返されて、母《かあ》さんなんか厭だよと口癖に云つて居ました佐保子《さほこ》だけを王様のお姫様のやうに大事になすつて、今に佐保子《さほこ》に兄様《にいさん》達を踏み躙《にじ》らせますとばかり叔母さんは云つておいでになつたさうです。末の妹に踏み躙《にじ》られるやうな兄達を生みの親であれば作り上げやうとは思ミませんけれど。私が花樹《はなき》と瑞樹《みづき》に三枚づヽの洋服を買ひ、佐保子《さほこ》に一枚を宛てて買つて来た程のことにもお艶《つや》さんは佐保子《さほこ》を粗末にするとお取りになつて清《きよし》さんの家《うち》へ泣いておいでになつたのです。洋服などは直《す》ぐ小《ちひさ》くなるのですから下へ譲つて行《ゆ》かなければならないではありませんか、さうした物質的のことで親の愛の尺度は解るものではありません。丁度私の帰つた日に二羽の矮鶏《ちやぼ》の一羽が犬に奪《と》られて一羽ぼつちになりましたのを、佐保子《さほこ》が昨日《きのふ》までに変つて他《た》の兄弟から忌《い》まれて孤独になつた象徴《しるし》であるらしいと台所で女中に云つて聞かせたりもお艶《つや》さんはなさいました。何処《どこ》の国に親が帰つて来て孤独になる子がありませうか。母様《かあさん》の処《ところ》へ行《ゆ》け行《ゆ》けと云つてはその一番可愛い佐保子《さほこ》の頭をお打《うち》になる音を私にお聞かせになりました。そして私の居ない処《ところ》ではあの大きな佐保子《さほこ》に出ないあの方《かた》の乳を吸はせたりもなさるのでした。佐保子《さほこ》が私を敵視するやうになり、この間まで僕婢《ぼくひ》のやうであつた兄弟達が物とも思はなくなつたのに、憤《いきどほ》つてます/\横道へ捩《ねじ》れて行つたのも、その時には是非もないことだつたのです。

     八

 光《ひかる》を見てお艶《つや》さんが母と叔母の前で陰陽《かげひなた》をすると云つて罵しつておいでになつた日には、私は思はずヒステリーに感染した恥《はづ》かしい真似をしました。雨の中へ重い光《ひかる》を抱いて出まして、叔母さんが恐《こは》いから逃げて行《ゆ》きませうなどと云ひました。私を介抱して下すつたのは春夫さんと菽泉《しゆくせん》さんでした。そのお二人がお濡《ぬら》しになつた靴足袋《くつたび》を乾かしてお返しする時にお艶《つや》さんのなすつた丁寧な挨拶を書斎に居て聞きながら、私は病《やまひ》の本家が自分になつたと思つて苦笑しました。光《ひかる》が叔母さんの前ですることが陰《かげ》なら、母《かあ》さんの前ですることもやはり陰《かげ》で、そんなにいヽと思ふこともして居ないと私はお艶《つや》さんに云ひたかつたのですが、大阪育ちの私はそんな時には駄目なのです。光《ひかる》が善良な子であると云ふことにはあなたも異論がおありにならないでせう。一年に三四度づヽは学校の先生もさう云つて下さいます。藤島先生もさう思つていらつしやるのです。私の日本を立つ時に敦賀まで来て下すつた茅野《ちの》さんも、光《ひかる》さんは憎まうとしても憎めない性質を持つて居るから叔母さんも可愛がりなさるでせうと云つて私を安心させて下すつたのでしたが、つまりああした中性のやうになつた方《かた》は男から見ても女から見ても想像の出来ない心理の変態があるのだらうと思ひます。
 最初の覚書にはまだ光《ひかる》のエプロンにはこんな形がいいとか、股引《もヽひき》はかうして女中に裁《たヽ》せて下さいとか書いて図を引いて置いたりしましたが、其頃《そのころ》のことを思ひますと光《ひかる》は大きくなりました。私等二人のして来た苦労が今更に哀れなものとも美しいものとも思はれ
前へ 次へ
全9ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング