やう》の辺りでは鞠《まり》を上へ放り上げながら歩いて居たのです。どうした拍子にか鞠《まり》はあの阪《さか》の中途にある米何《こめなに》とか云ふ邸《やしき》の門の中へ落ちたのださうです。光《ひかる》自身の物であればあの恥《はづか》しがる子がどうして知らない家へ拾ひに入《はひ》りませう、また貧しいと云つても自分の親には十や二十の鞠《まり》を買ふだけの力はあると信じて居ますから、もう一度帰つてから麹町の通《とほり》まで行《ゆ》けばいいと諦めた丈《だけ》で帰るのだつたのです。今の今迄|悦《よろこ》んで居た弟の淋しい泣顔を見てはじつとして居られないやうな気がしたのでせう、然《しか》もまだ二人だけであつたなら手を取り合つて帰つて来たかも知れませんが、従弟《いとこ》の心も自分と同じやうに茂《しげる》のために傷《いた》められて居るのであらうと見ては、一番年上の自分が勇気を出して見なければならないと思つたのでせう、光《ひかる》はその米何《こめなに》の門を五六歩|入《はひ》つて行つたのださうです。それだけで十一年の間|玉《たま》のやうに私の思つて来た子は無名の富豪の僕《ぼく》に罵られたのです。辱《はづかし》められたのです。光《ひかる》は多くを云ひませんし、私も尋ねないでそれで済んだのですが、私の心は長い間その事から離れませんでした。僕《ぼく》を老人として赤ら顔の酒臭い男を思つて見たり、若くて背中の曲がつた男かと思つて見たり、車夫《しやふ》姿をした男かと思つて見たり、我子を罵つた言葉は越後訛か、奥州訛かと考へて見たり、門内の物は塵一本でも自家の所有物であると、ねちねちと物を言ふ半商人、半書生が憎まれたりもしました。人の子を瓦の片《はし》のやうに思つて居るそんな人間を養つて置く広い邸《やしき》や無用な塀の多いXを私は我子を置いて死に得《う》る処《ところ》とはよう思ひません。ウイインの王宮の庭は平民達の通路になつて居るではありませんか。であるからヨセフ老帝は薄命だと云はれるのである、自身の居る窓の下に旅人の煙草《たばこ》の吸殻を捨てさせるなどとは憐むべきである、絶東《ぜつとう》の米何《こめなに》だけの威《ゐ》をもよう張らないのであると米何《こめなに》は思つて居るかも知れません。私は米何《こめなに》を無名の人と書きましたが、あの海軍の収賄問題のやかましい頃に贈賄者として検挙される筈《はず》であ
前へ
次へ
全17ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング