ます。この書物《かきもの》が不用になつて、また何年かの後《のち》に更に覚書を作るのであつたなら、この感は一層深いであらうと思ひます。私はもうその時分になつてはこんな物を長々と書くまいとも思ひ、一層書くことが多いであらうとも思はれます。私は併《しか》しながら話を聞くだけでも眩暈《めまひ》のしさうな光《ひかる》達の祖父の方《かた》がなすつたと云ふ子女の厳しい教育に比べて、煙管《きせる》の雁首《がんくび》でお撲《う》ちになつた傷痕《きずあと》が幾十と数へられぬ程あなた方《がた》御兄弟の頭に残つて居ると云ふやうなことに比べて、寛容をお誇りになるあなたであつても、生きた光《ひかる》達をお託しすることの不安さは何にも譬《たと》へられない程に思つて居るのです。あなたのお飼ひになる小鳥の籠を覆《くつがへ》すやうなことがあつても私の子は親の家を逐《お》はれるでせう。あなたが仏蘭西《フランス》からお持ち帰りになつた陶器の一つに傷を附けた時、私の子は旧《もと》に戻せと云ふことを幾百|度《たび》あなたから求められたでせう。私は此処《ここ》まで書いて来まして非常に気が昂《あが》つて来ました。母を持たない我子は孤児になる方《はう》がましなのではなからうかと思ひます。先刻《さつき》御一緒に飲んだココアのせいなのでせうか。私には隣国の某|太后《たいこう》が養子の帝王に下した最後の手段を幻影に見て居ます。けれど私はそれを決して実行致しません。もとよりこの覚書を見て頂かうと思つて居ます。殊《こと》に私は白髪《しらが》を掻き垂れて登場して来ようとするあなたの初恋の女のために、あなたと一緒に葬られやうとしたと思はれては厭ですから。
 妙な調子になつて来ました。

     九

 私は光《ひかる》のためにあのことも書いて置きませう。これは一昨年《をとヽし》の歳暮《せいぼ》のことでした。ある日の午後学校から帰りました茂《しげる》が護謨《ごむ》鞠《まり》を欲《ほ》しいと頼むものですから、私は光《ひかる》に買つて来て遣ることを命じたのでした。簡単な買物として私は光《ひかる》の経験にとも思つて出したのでした。清《きよし》さんの家《うち》の譲《ゆづる》さんにも頼んで一緒に行つて貰つたのです。麹町の通りで購《あがな》はれた鞠《まり》は直《す》ぐ茂《しげる》の手へ渡されたのです。茂《しげる》は嬉しさに元園町《もとぞのち
前へ 次へ
全17ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング