なる時分には、兄《にい》さんも大きくなつて居て一人で汽車に乗つて迎へに行つて上げますよ。兄《にい》さんの上げた林檎は汽車の中で食べましたか。
[#ここで字下げ終わり]
などヽ仮名で書いてあるのです。表の宛名はまだ書いてありません。
私はあなたの蚊帳《かや》の中へもすつと入《はひ》りました。三郎の寝床がなくなつてからのあなたの蚊帳《かや》の中の様子は海の中に唯《たヾ》一つある島のやうであると思つて、この前と同じやうな淋しさを私が感じると云ふのです。此処《ここ》の電気灯も十燭光位が点《つ》いて居るのです。私は三度程ぐるぐるとお床《とこ》を廻つてから恥《はづか》しいものですから背中向きにあなたの枕許《まくらもと》へ坐るのです。亡霊になつてからまだあなたのお顔だけはしみじみと見たことが初めの一度きりしかないのです。そしてまたこれが出してあると私は思ふのです。それは(実際はそんな物をお持ちになりませんけれど、)私から昔あなたへお上げした手紙の一部である五六通が一束《ひとたば》になつた物なのです。亡霊は出て来る度に、これを読んで寝ようとお思ひになつてあなたが二階から態々《わざ/\[#底本では「/\」は「/″\」と誤植]》床《とこ》の中へ持つて来ておありになるのを見附けますが、私の生前に束《たば》ねられた儘の紙捻《こより》の結び目は一度もまだ解いた跡がないのです。私の生前と云ふよりも、私があなたの許《もと》へ来る前に束《つか》ねられた儘なのです。私には全《まる》で見当の附かない名の書かれた女の手紙が二通と、私の知つた中のつまらない女の手紙が一通あるのです。私の古手紙のやうな煙《けぶり》のやうな色をしないで、それらは皆鮮かな心持のいヽ色をした封筒に入つてゐるのです。男のも一通はあるんです。その知らない女の一通の方《はう》の手紙は今日《けふ》来たのではなく、二三日前のであつて、今までにもう五六度も読まれた物であると云ふことが私の心には直《す》ぐ解るのです。葉書も二枚あるのです。一枚は私の妹から瑞樹《みづき》の機嫌の好《い》いことを知らせて来た物です。それには涙に匂ひが附いて居るので私はまた悲しくて溜らない気になると云ふのです。一枚は悪筆で、
[#ここから1字下げ]
ワイフを貰ふことなんかを考へ出してはおまへのためによくねえぞ。その外のことならどんなことでも相談に乗つてやらう。心得
前へ
次へ
全17ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング