た》り候。その駭《おどろ》きに父さまの事は忘れたらしく候へば、箱根へかかり候まで泣きいぢれて、よう寐《ね》てをり候|秀《しげる》を起しなど致し候へば、また去年の旅のやうに虫を出だし候てはと、呑《の》まさぬはずの私の乳|啣《ふく》ませ、やつとの事に寐かせ候ひしに、近江《おうみ》のはづれまで不覚に眠り候て、案ぜしよりは二人の児は楽に候ひしが、私は末《すえ》と三人を護《まも》りて少しもまどろまれず、大阪に着きて迎への者の姿見てほつと安心致し候時、身も心も海に流れ候人のやうに疲れを一時に覚え候。
 車中にて何心なく『太陽』を読み候に、君はもう今頃御知りなされしなるべし、桂月《けいげつ》様の御評のりをり候に驚き候。私|風情《ふぜい》のなま/\に作り候物にまでお眼お通し下され候こと、忝《かたじけな》きよりは先づ恥しさに顔|紅《あか》くなり候。勿体《もつたい》なきことに存じ候。さはいへ出征致し候弟、一人の弟の留守見舞に百三十里を帰りて、母なだめたし弟の嫁ちからづけたしとのみに都を離れ候身には、この御評一も二もなく服しかね候。
 私が弟への手紙のはしに書きつけやり候歌、なになれば悪《わ》ろく候にや。あれは歌に候。この国に生れ候私は、私らは、この国を愛《め》で候こと誰にか劣り候べき。物堅き家の両親は私に何をか教へ候ひし。堺《さかい》の街《まち》にて亡《な》き父ほど天子様を思ひ、御上《おかみ》の御用に自分を忘れし商家のあるじはなかりしに候。弟が宅《うち》へは手紙ださぬ心づよさにも、亡き父のおもかげ思はれ候。まして九つより『栄華《えいが》』や『源氏《げんじ》』手にのみ致し候少女は、大きく成りてもます/\王朝の御代《みよ》なつかしく、下様《しもざま》の下司《げす》ばり候ことのみ綴《つづ》り候|今時《いまどき》の読物をあさましと思ひ候ほどなれば、『平民新聞』とやらの人たちの御議論などひと言ききて身ぶるひ致し候。さればとて少女と申す者誰も戦争《いくさ》ぎらひに候。御国のために止《や》むを得ぬ事と承りて、さらばこのいくさ勝てと祈り、勝ちて早く済めと祈り、はた今の久しきわびずまひに、春以来君にめりやすのしやつ一枚買ひまゐらせたきも我慢して頂きをり候ほどのなかより、私らが及ぶだけのことをこのいくさにどれほど致しをり候か、人様に申すべきに候はねど、村の者ぞ知りをり候べき。提灯《ちようちん》行列のための
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