る最も強烈な本能の一つです。即ち人間性の内容として重要な位地を占めているものです。それがどう[#「どう」に傍点]して人間の力で失われよう。教育の進歩に由って、唯だ益々それが動物的の親性から人間的の親性へ醇化《じゅんか》されて行くばかりです。現代の父母が如何に前代に比べて、その子に対する愛が進化しているかは、何人にも領解されることであろうと思います。
 しかもまた、論者に注意したいことは、人間は必ずしも人の親になるとも定まっていないということです。また、大多数の男女が親になるとしても、その子供を必ず育て得るものとも定まらねば、その子供が必ず育ち得るものと限っていないということです。もし女子が母とならないために「女らしさ」を失うというなら、男子も父とならないため「男らしさ」を失うといわねばならないでしょう。世間には先天的もしくは後天的のいろいろの事情に由って、結婚をせず、結婚をしても子供を生まない男女があります。

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 既に述べましたように、人間性の中には親となることの熱烈な本能を所蔵しています。高度の教育に由って人間性を精錬された男女は、最も理想的な父母となることを意欲しないで置きません。これを抑制し、または回避するような不良な傾向があるなら、それは唯だ一つの理由、即ち社会の経済的分配が法外な不公平を示して、過度の労働の下に生産した物質価値の大部分を資本階級に由って搾取されてしまった後の私たち無産階級の生活が、子供を育てるどころか、結婚をするにも甚だしく不適当であるという理由に帰する外はありません。現に結婚難は都鄙《とひ》の別なく年を追うて我国にも増大して行きます。病人と不具者とでない限り、誰も好んで老嬢となる者はありませんが、今日は多数の男子が一身の物質生活にさえ欠乏していて、そのうえ妻子を扶養する経済的負担の苦痛を重ねるのに忍びないで、やむをえず結婚を回避している有様ですから、女子解放運動が母性を失わしめるというような批難は全く見当違いです。
 また万人に結婚の可能な新社会が出現したからといって、人間は必ずしも結婚して親とならねばならないという事はなかろうと思います。「人間的活動」の領域は濶大《かつだい》され、それに参加する自由と機会とを万人が保障されている社会に、男も女も、適材を以て適処に就くのが宜しい。殊に私たちの期待している新社会では、恋愛が結婚の基礎になりますから、恋愛の対象を発見しない限り生殖生活から遠ざかる男女を生じるのも当然です。しかし男女交際の自由な新社会では、恋愛の対象を慎重に選択する機会も多く、実際の生殖生活から遠ざかる男女は極めて尠《すくな》いことであろうと想像します。
 社会にはまた、昔から、或種の活動に専心して、わざと家庭を作らない男女もあります。何事も個人の自由意志に任すべきものですから、そういう人たちに生殖生活を強要することも出来ません。その人たちは、家庭の楽み以上に、自己の専門的生活を評価しているのです。それでこそ、その人たちの人間性が完全に表現されもするのです。世界人類の中に、そういう人たちの貢献があるので、昔も今も、どれだけ文化行程の飛躍を示したか知れません。私は、人類の中にそう[#「そう」に傍点]いう人たちのまじっ[#「まじっ」に傍点]ていることを例外とせず、望ましい配剤として、肯定したいと思います。

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 以上は甚だ粗雑な考察ながら、私はこれによって、論者のいうような「女らしさ」というものが特に女子の上に存在しないということを突き詰めて知ることが出来ました。「女らしさ」というものは、要するに私のいわゆる「人間性」に吸収し還元されてしまうものです。女子に特有して、女子を男子から分化し、女子のみの生活というものを基礎づける第一原理となり、最高の価値標準となるものでないことが明白になりました。「女らしさ」という言葉から解放されることは、女子が機械性から人間性に目覚めることです。人形から人間に帰ることです。もしこれを論者が「女子の中性化」と呼ぶなら、私たちはむしろそれを名誉として甘受しても好いと思います。
 「女らしくない」という一語が、昔から、どれだけ女子の活動を圧制して来たか知れません。習慣というものは根強いもので、今でも「女らしくない」といわれると、一部の女子は蛇でも投げつけられたようにぎょっと[#「ぎょっと」に傍点]して身を縮めます。しかし現代の女子の大多数は最早「女らしくない」という言葉くらいに恐れません。それはもっと[#「もっと」に傍点]恐ろしい言葉のあることを直感しているからです。即ち「人間らしくない」という言葉に由って表現される人間性の破滅が、何よりも現代人に取って恐ろしいものであることを思わずにいられないからです。(一九二一年一月)
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