破落戸の昇天
モルナール・フェレンツ Molnar Ferenc
森鴎外訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)寐入《ねい》らせたり
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 これは小さい子供を持った寡婦がその子供を寐入《ねい》らせたり、また老いて疲れた親を持った孝行者がその親を寝入らせたりするのにちょうどよい話である。途中でやめずにゆっくり話さなくてはいけない。初めは本当の事のように活溌な調子で話すがよい。末の方になったら段々小声にならなくてはいけない。

     一

 町なかの公園に道化方の出て勤める小屋があって、そこに妙な男がいた。名をツァウォツキイと云った。ツァウォツキイはえらい喧嘩坊で、誰をでも相手に喧嘩をする。人を打つ。どうかすると小刀で衝《つ》く。窃盗《せっとう》をする。詐偽《さぎ》をする。強盗もする。そのくせなかなかよい奴であった。女房にはひどく可哀がられていた。女房はもとけちな女中奉公をしていたもので十七になるまでは貧乏な人達を主人にして勤めたのだ。
 ある日曜日に暇を貰って出て歩くついでに、女房は始めてツァウォツキイと知合いになった。その時ツァウォツキイは二色のずぼんを穿《は》いていた。一本の脚は黄いろで、一本の脚は赤かった。髪の毛の間にははでな色に染めた鳥の羽を挿《さ》していた。その羽に紐が附けてあって、紐の端がポッケットに入れてある。その紐を引くと、頭の上で蝋燭を立てたように羽が立つ。それを見ては誰だって笑わずにはいられない。この男にこの場所で小さい女中は心安くなって、半日一しょに暮らした。さて午後十一時になっても主人の家には帰らないで、とうとう町なかの公園で夜を明かしてしまった。女中は翌日になって考えてみたが、どうもお上さんに顔を合せることが出来なくなった。そこでこの面白い若者の傍を離れないことにした。若者の方でも女が人がよくて、優しくて、美しいので、お役人の所に連れて行って夫婦にして貰った。
 ツァウォツキイはそれからも身持を変えない。ある時はどこかの見せ物小屋の前に立って客を呼んでいることもあるが、またある時は何箇月立っても職業なしでいて、骨牌《かるた》で人を騙《だま》す。どうかすると二三日くらい拘留せられていることもある。そんな時は女房が夜も昼も泣いている。拘留場で横着を出すと、真っ暗い穴に入れられる。そんな時はツァウォツキイも「ああ、おれはなんと云う不しあわせものだろう」とこぼしている。
 ある時ツァウォツキイの家で、また銭が一文もなくなった。ツァウォツキイはそれを恥ずかしく思った。そしてあの小さい綺麗な女房がまたパンの皮を晩食にするかと思うと、気の毒でならなかった。ところがその心持を女房に知らせたくないので、女房をどなり附けた。
「あたりめえよ。銭がありゃあ皆手めえが無駄遣いをしてしまうのだ。ずべら女めが。」
 小さい女房はツァウォツキイの顔をじっと見ていたが、目のうちに涙が涌《わ》いて来た。
 ツァウォツキイは拳を振り上げた。「泣きゃあがるとぶち殺すぞ。」
 こう云っておいて、ツァウォツキイはひょいと飛び出して、外から戸をばったり締めた。そして家の背後の空地の隅に蹲《うずくま》って、夜どおし泣いた。
 色の蒼ざめた、小さい女房は独りで泣くことをも憚《はばか》った。それは亭主に泣いてはならぬと云われたからである。女と云うものは涙をこらえることの出来るものである。
 翌日は朝から晩まで、亭主が女房の事を思い、女房が亭主の事を思っている。そのくせ互に一言も物は言わない。
 ある日の事である。ちょうど土曜日で雨が降っていた。ツァウォツキイは今一人の破落戸《ごろつき》とヘルミイネンウェヒの裏の溝端《どぶばた》で骨牌《かるた》をしていた。そのうち暗くなって骨牌が見分けられないようになった。それに雨に濡れて骨牌の色刷の絵までがにじんでぼやけて来た。無論相手の破落戸はそれには困らない。どうせ骨牌を裏から見て知っているからである。しかしきょうはもう廃《よ》す気になっていた。
「いや。もうこのくらいで御免を蒙りましょう。」わざと丁寧にこう云って、相手は溝端からちょっと高い街道にあがった。
「そんな法はねえ。そりゃあ卑怯だ。おれはまるで馬鹿にされたようなものだ。銭は手めえが皆取ってしまったじゃないか。もっとやれ。」ツァウォツキイの声は叫ぶようであった。
 相手は聴かなかった。雨は降るし、遅くもなっているし、もうどうしても廃すのだ。その代り近いうちに填合《うめあわ》せをしようと云うのである。相手はこんな言いわけをして置いて、弦を離れた矢のように駆け出した。素足で街道のぬかるみを駆けるので、ぴちゃぴちゃ音がした。
 その時ツァウォツキイは台所で使う刃物を出した。そしてフランチェンスウェヒを横切って、ウルガルン王国の官有鉄道の発起点になっている堤の所へ出掛けた。
 ここはいつもリンツマンの檀那の通る所である。リンツマンの檀那と云うのは鞣皮《なめしがわ》製造所の会計主任で、毎週土曜日には職人にやる給料を持ってここを通るのである。
 この檀那に一本お見舞申して、金を捲き上げようと云う料簡で、ツァウォツキイは鉄道の堤の脇にしゃがんでいた。しかしややしばらくしてツァウォツキイは気が附いた。それは自分が後れたと云うことである。リンツマンの檀那はもう疾《と》っくに金を製造所へ持って往って、職人に払ってしまっている。おまけに虚《から》の財布を持って町へ帰っているのである。実に骨牌と云うものはとんだ悪い物である。あれをしていると、大切な事を忘れてしまう。
 ツァウォツキイはようよう鉄道の堤に攀じ上った。両方の目から涙がよごれた顔の上に流れた。顔の色は蒼ざめた。それから急にその顔に微笑の影が浮かんで、口から「ユリア、ユリア」と二声の叫が洩れた。ユリアとは女房の名である。ツァウォツキイは小刀の柄を両手で握って我と我胸に衝き挿した。ツァウォツキイはすぐに死んで、ユリアの名をまだ脣の上に留めながら、ポッケットに手品に使う白い球を三つと、きたない骨牌を一組入れたまま、死骸は鉄道の堤の上から転げ落ちた。
 ツァウォツキイの死骸は墓地の石垣の傍に埋められた。その時グランの僧正が引導を渡したと云うのは訛伝《かでん》である。それに反して、女房ユリアが夜明かしをして自分で縫った黒の喪服を着て、墓の前に立ったと云うのは事実である。公園中に一しょに住んでいただけの人は皆集まっていて、ユリアを慰めた。その詞はざっとこんな物であった。「神の徳は大きい。お前さんをいじめた人の手からお前さんを救って下された。お前さんをいじめた人にも神は永遠なる安息をお与えなさるだろう。だがお前さんはまだ若い。こうなった方がかえってよかったかも知れない。あの男は神の恵みの下に眠るがよい。お前さんはとにかくまだ若いから」と云うような事であった。ユリアは頷いた。悲しげな女の目には近所の人達の詞に同意する表情が見えた。そしてこう云った。「難有うございます。皆さんが御親切になすって下すって難有うございます。」ユリアはまだその上にこう云った。「警部さん。あなたはこうなった方が、かえってよいかも知れないとおっしゃいましたが、そうかも知れませんわね。あの人は亡くなったのだから、もういたし方がございません。」ユリアが警部にこう云ったのは無理も無い。あんなやくざもののツァウォツキイを、死んだあとになってまで可哀く思うのは、実に怪しからん事である。さて葬いのあった翌日からは、ユリアは子供の着物を縫いはじめた。もう一月で子供が生れることになっていたからである。
 ツァウォツキイは無縁墓に埋められたのである。ところがそこには葬いの日の晩までしかいなかった。警察の事に明るい人は誰も知っているだろうが、毎晩市の仮拘留場の前に緑色に塗った馬車が来て、巡査等が一日勉強して拾い集めた人間どもを載せて、拘留場へ連れて行く。ちょうどこれと同じように墓地へも毎晩緑色に塗った車が来て、自殺したやくざものどもを載せて行く。すぐに地獄へ連れ込むのではない。それはまず浄火と云うもので浄めなくてはならないからである。浄めると云うのは悉《くわ》しく調べるのである。この取調べの末に、いつでも一人や二人は極楽へさえやって貰うのである。
 この緑色の車に、外の人達と一しょにツァウォツキイも載せられた。小刀を胸に衝き挿したままで載せられた。馬車はがたぴしと夜道を行く。遠く遠く夜道を行く。そのうちに彼誰時《かわたれどき》が近くなった。その時馬がたちまち駆歩になって、車罔《しゃもう》は石に触れて火花を散らした。ツァウォツキイは車の小さい穴から覗いて見た。馬車は爪先下りの広い道を、谷底に向って走っている。谷底は薔薇色の靄に鎖されている。その早いこと飛ぶようである。しばらくして車輪が空を飛んで、町や村が遙か下の方に見えなくなった。ツァウォツキイはそれを苦しくも思わない。胸に小刀を貫いている人には、もう物事を苦しく思うことは無いものである。
 馬車が駐まった。載せられて来たものは一人ずつ降りた。押丁《おうてい》がそれを広い糺問所に連れ込む。一同待合室で待たせられる。そこでは煙草を呑むことが禁じてある。折々眼鏡を掛けた老人の押丁が出て名を呼ぶ。とうとうツァウォツキイの番になって、ツァウォツキイが役人の前に出た。
 役人は罫を引いた大きい紙を前に拡げて、その欄の中になんだか書き入れていたが、そのまま顔を挙げずに、「名前は」と云った。
「アンドレアス・ツァウォツキイです。」
「何歳になる。」
「三十二になります。」
「生れは。」
 ツァウォツキイは黙っていた。
 役人はそれでも顔を挙げずに、「生れは」と繰り返してすぐに自分で、「不明だな」と云い足して、やっと顔を挙げた。
 ツァウォツキイは頷いた。
「何か娑婆で忘れて来た事があるなら、一日だけ暇を貰って帰って来る権利があるのだ。正当に死ねるはずの時が来て死んだものには、そんな権利は無い、もう用事が無いはずだからな。自殺したものとなるととかく何かしら忘れて来るものだ。そのために娑婆のものが迷惑するかも知れない。どうだな。」役人はこわい目をしてツァウォツキイを見た。自殺者を見るには、いつもこんな目附をするのである。
「そうですね。忘れたと云えば、子供の生れるのを待って、見て来ようと思ったのですが、それを忘れて来ました。随分見たかったのですから、惜しい事をしたと思いましたよ。ところがそこに気の附いた時にはもうあとの祭でした。悲しいことは悲しいのですが、わたしだって男一匹だ。ここに来たからには、せっかくの御注意ですが、やっぱりこのまま置いてお貰い申しましょう。」ツァウォツキイはこう云って、身を反らして、傲慢な面附《つらつき》をして役人の方を見た。胸に挿してある小刀と同じように目が光った。
 役人は「監房に入れい、情の無い奴だ」と叫んだ。
 押丁共がツァウォツキイの肩先を掴まえて引き摩って行った。
 ツァウォツキイは胸に小刀を挿していながら、押丁どもを馬鹿にして、「犬め、極卒め、カザアキめ」と罵った。
 押丁共は返事の代りに足でツァウォツキイを蹴った。その時胸から小刀が抜けてはならないので、一人の押丁が柄を押さえていた。

     二

 ツァウォツキイは十六年間浄火の中にいた。浄火と云うものは燃えているものだと云うのは、大の虚報である。浄火は本当の火ではない。極明るい、薔薇色の光線である。人間を長い間その中に据わらせておいて、悪い性質を抜け出させるのである。
 ツァウォツキイはだんだん光線に慣れて来て、自分の体の中が次第に浄くなるように感じた。心の臓も浄くなったので、いろんな事を思い出して、そして生れたと云うばかりで、男の子だか女の子だか知らない子を、どうかして見たいものだと思った。
 浄火の中を巡って歩いて、何か押丁に対する不平があるなら言えという役人がある。ある時その役人に、ツァウォツキイが言った。「ちょっと伺いますが、娑婆で忘れて来た事をしに行くのに、一日だけお暇が貰えると云うことでしたね
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