る。隣りは店員数人をつれたる株屋。空は火事の煙の為、どちらを見てもまつ赤《か》なり。鸚鵡、突然「ナアル」といふ。
 翌日も丸の内一帯より日比谷|迄《まで》、孫娘を探しまはる。「人形町なり両国なりへ引つ返さうといふ気は出ませんでした」といふ。午《ひる》ごろより饑渇《きかつ》を覚ゆること切なり。やむを得ず日比谷の池の水を飲む。孫娘は遂に見つからず。夜は又丸の内の芝の上に横はる。鸚鵡の籠を枕べに置きつつ、人に盗《ぬす》まれはせぬかと思ふ。日比谷の池の家鴨《あひる》を食《く》らへる避難民を見たればなり。空にはなほ火事の明《あか》りを見る。
 三日《みつか》は孫娘を断念し、新宿《しんじゆく》の甥《をひ》を尋《たづ》ねんとす。桜田《さくらだ》より半蔵門《はんざうもん》に出づるに、新宿も亦《また》焼けたりと聞き、谷中《やなか》の檀那寺《だんなでら》を手頼《たよ》らばやと思ふ。饑渇《きかつ》愈《いよいよ》甚だし。「五郎を殺すのは厭《いや》ですが、おち[#「おち」に傍点]たら食はうと思ひました」といふ。九段上《くだんうへ》へ出づる途中、役所の小使らしきものにやつと玄米《げんまい》一合余りを貰ひ、生《なま》のまま噛《か》み砕《くだ》きて食す。又つらつら考へれば、鸚鵡の籠を提《さ》げたるまま、檀那寺《だんなでら》の世話にはなられぬやうなり。即ち鸚鵡に玄米の残りを食はせ、九段上の濠端《ほりばた》よりこれを放つ。薄暮《はくぼ》、谷中の檀那寺に至る。和尚《をしやう》、親切に幾日でもゐろといふ。
 五日《いつか》の朝、僕の家に来《きた》る。未《いま》だ孫娘の行《ゆ》く方《へ》を知らずといふ。意気な平生のお師匠《ししやう》さんとは思はれぬほど憔悴《せうすゐ》し居たり。
 附記。新宿の甥の家は焼けざりし由。孫娘は其処《そこ》に避難し居りし由。



底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
   1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
   1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
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