の為に実《じつ》を顧みないに至つては閥族《ばつぞく》の横暴も極《きはま》れりだ。」と憤慨《ふんがい》した。
自分もそれは乱暴だと思つたから、
「実に怪《け》しからんですな。」と書生の憤慨に賛成の意を表《へう》した。書生は自分の賛成を得て大《おほい》に知己《ちき》を得たやうな気がしたのだらう。彼は自分の方《はう》をふりむくと、滔々《たうたう》としてこんな事を辯じ出した。
「万事《ばんじ》この調子だから驚くです。かう云ふ事には最も理解がある可《べ》き文壇でさへ、イズムで人間を律しようとするんですからな。一度《いちど》新技巧派と云ふ名が出来ると、その名をどこまでも人に押しかぶせて、それで胡麻《ごま》をする時は胡麻をするし、退治《たいぢ》する時は退治しようとするんですからな。我々青年はまづこの弊風《へいふう》を打破しなければいかんです。僕はこの間|博浪沙《はくらうしや》で始皇帝《しくわうてい》の車に鉄椎《てつつゐ》を落させました。不幸にしてそれは失敗しましたが、まだ壮心が衰へた訳ではありません。」
かう云つて書生は、群集を麾《さしまね》きながら、
「諸君、憲政の擁護の為にあの交番を破壊しようではありませんか。」と絶叫した。
それに応じてどこからか石が一つ斜《ななめ》に空《くう》を切りながら、かちやりと音を立てて交番の窓|硝子《ガラス》へ穴をあけた。その音で気がつくと、自分は依然としてカツフエ・パウリスタのテエブルに坐つてゐる。かちやりと云つたのは、珈琲《コオヒイ》の匙《さじ》が手から皿の上へ落ちた音らしい。自分は黒いモオニングを着た容貌|魁梧《くわいご》な紳士と向ひ合つた儘、眼を明《あ》いて夢を見てゐたのである。紳士は自分が放心から覚めたのを見ると、
「新年の新聞に何か書いてくれませんか。」と云つた。
「この頃は何も書きたくないんだから駄目《だめ》です。」
「そんな事を云はずに何か書いてくれ給へ。何《なん》でもいいのです。たとへば「新技巧派について」と云ふやうなものでも。」
自分はぎよつとした。事によるとこの紳士は自分の夢を知つてゐるのかも知れない。
「それでなければ「旧技巧と新技巧と」はどうです。」
「駄目《だめ》です。第一新技巧などと云ふ事は考へた事もありやしません。」自分はぶつけるやうに云つた。
「しかし何か書けるでせう。」
「書けば、あなたに頼まれて書くと云
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