A一向平気で、すましてゐる。
すましてゐるだけなら、まだいいが、外の連中が、せつせと虱狩をしてゐるのを見ると、必《かならず》わきからこんな事を云ふ。――
「とるなら、殺し召さるな。殺さずに茶碗へ入れて置けば、わしが貰うて進ぜよう。」
「貰うて、どうさつしやる?」同役の一人が、呆《あき》れた顔をして、かう尋ねた。
「貰うてか。貰へばわしが飼うておくまでぢや。」
森は、恬然《てんぜん》として答へるのである。
「では殺さずにとつて進ぜよう。」
同役は、冗談《じようだん》だと思つたから、二三人の仲間と一しよに半日がかりで、虱を生きたまま、茶呑茶碗へ二三杯とりためた。この男の腹では、かうして置いて「さあ飼へ」と云つたら、いくら依怙地《えこぢ》な森でも、閉口するだらうと思つたからである。
すると、こつちからはまだ何とも云はない内に、森が自分の方から声をかけた。
「とれたかな。とれたらわしが貰うて進ぜよう。」
同役の連中は、皆、驚いた。
「ではここへ入れてくれさつしやい。」
森は平然として、着物の襟《えり》をくつろげた。
「痩我慢をして、あとでお困りなさるな。」
同役がかう云つたが、当人は耳にもかけない。そこで一人づつ、持つてゐる茶碗を倒《さかさま》にして、米屋が一合|枡《ます》で米をはかるやうに、ぞろぞろ[#「ぞろぞろ」に傍点]虱をその襟元へあけてやると、森は、大事さうに外へこぼれた奴を拾ひながら、
「有難い。これで今夜から暖《あたたか》に眠られるて。」といふ独語《ひとりごと》を云ひながら、にやにや笑つてゐる。
「虱がゐると、暖うこざるかな。」
呆気《あつけ》にとられてゐた同役は、皆互に顔を見合せながら、誰に尋ねるともなく、かう云つた。すると、森は、虱を入れた後の襟を、丁寧に直しながら、一応、皆の顔を莫迦《ばか》にしたやうに見まはして、それからこんな事を云ひ出した。
「各々は皆、この頃の寒さで、風をひかれるがな、この権之進はどうぢや。嚔《くさめ》もせぬ。洟《はな》もたらさぬ。まして、熱が出たの、手足が冷えるのと云うた覚は、嘗《かつ》てあるまい。各々はこれを、誰のおかげぢやと思はつしやる。――みんな、この虱のおかげぢや。」
何でも森の説によれば、体に虱がゐると、必《かならず》ちくちく刺す。刺すからどうしても掻きたくなる。そこで、体中万遍なく刺されると、やはり体中万遍なく掻きたくなる。所が人間と云ふものはよくしたもので、痒い痒いと思つて掻いてゐる中に、自然と掻いた所が、熱を持つたやうに温くなつてくる。そこで温くなつてくれば、睡くなつて来る。睡くなつて来れば、痒いのもわからない。――かう云ふ調子で、虱さへ体に沢山ゐれば、睡《ね》つきもいいし、風もひかない。だからどうしても、虱飼ふべし、狩るべからずと云ふのである。……
「成程、そんなものでこざるかな。」同役の二三人は、森の虱論を聞いて、感心したやうに、かう云つた。
三
それから、その船の中では、森の真似をして、虱を飼ふ連中が出来て来た。この連中も、暇さへあれば、茶呑茶碗を持つて虱を追ひかけてゐる事は、外の仲間と別に変りがない。唯、ちがふのは、その取つた虱を、一々|刻銘《こくめい》に懐《ふところ》に入れて、大事に飼つて置く事だけである。
しかし、何処《いづく》の国、何時の世でも、〔Pre'curseur〕 の説が、そのまま何人にも容れられると云ふ事は滅多にない。船中にも、森の虱論にの説が、そのまま何人《なんぴと》にも容れられると云ふ事は滅多にない。船中にも、森の虱論に反対する、Pharisien が大勢ゐた。
中でも筆頭第一の Pharisien は井上典蔵と云ふ御徒士《おかち》である。これも亦《また》妙な男で、虱をとると必ず皆食つてしまふ。夕がた飯をすませると、茶呑茶碗を前に置いて、うまさうに何かぷつりぷつり噛んでんでゐるから、側へよつて茶碗の中を覗いて見ると、それが皆、とりためた虱である。「どんな味でござる?」と訊くと、「左様さ。油臭い、焼米のやうな味でござらう」と云ふ。虱を口でつぶす者は、何処にでもゐるが、この男はさうではない。全く点心《てんしん》を食ふ気で、毎日虱を食つてゐる。――これが先《まづ》、第一に森に反対した。
井上のやうに、虱を食ふ人間は、外に一人もゐないが、井上の反対説に加担をする者は可成《かなり》ゐる。この連中の云ひ分によると、虱がゐたからと云つて、人間の体は決して温まるものではない。それのみならず、孝経にも、身体髪膚之《しんたいはつぷこれ》を父母に受く、敢《あへ》て毀傷《きしやう》せざるは孝の始なりとある。自《みづから》、好んでその身体を、虱如きに食はせるのは、不孝も亦甚しい。だから、どうしても虱狩るべし。飼ふべからずと云ふのである
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