かな。」
「張り換へたんだがね。鼠のやつにはかなはないよ。」
Mは元気さうに笑つてゐた。
十一月の或|夜《よ》である。この書斎に客が三人あつた。客の一人《ひとり》はO君である。O君は綿抜瓢一郎《わたぬきへういちらう》と云ふ筆名のある大学生であつた。あとの二人《ふたり》も大学生である。しかしこれはO君が今夜先生に紹介したのである。その一人は袴をはき、他の一人は制服を着てゐる。先生はこの三人の客にこんなことを話してゐた。「自分はまだ生涯に三度《さんど》しか万歳を唱へたことはない。最初は、……二度目は、……三度目は、……」制服を着た大学生は膝の辺《あた》りの寒い為に、始終ぶるぶる震へてゐた。
それが当時のわたしだつた。もう一人の大学生、――袴をはいたのはKである。Kは或事件の為に、先生の歿後来ないやうになつた。同時に又旧友のMとも絶交の形になつてしまつた。これは世間も周知のことであらう。
又十月の或夜である。わたしはひとりこの書斎に、先生と膝をつき合せてゐた。話題はわたしの身の上だつた。文を売つて口を餬《こ》するのも好《よ》い。しかし買ふ方は商売である。それを一々註文通り、引き受けて
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