かみ》が一人来ていたが、皆四十を越した人たちばかりで、それに小川の旦那《だんな》や中洲の大将などの御新造《ごしんぞ》や御隠居が六人ばかり、男客は、宇治紫暁《うじしぎょう》と云う、腰の曲った一中の師匠と、素人《しろうと》の旦那衆《だんなしゅ》が七八人、その中の三人は、三座の芝居や山王様の御上覧祭を知っている連中なので、この人たちの間では深川の鳥羽屋の寮であった義太夫《ぎだゆう》の御浚《おさら》いの話しや山城河岸《やましろがし》の津藤《つとう》が催した千社札の会の話しが大分賑やかに出たようであった。
 座敷は離れの十五畳で、このうちでは一番、広い間らしい。籠行燈《かごあんどん》の中にともした電燈が所々に丸い影を神代杉《じんだいすぎ》の天井にうつしている。うす暗い床の間には、寒梅と水仙とが古銅の瓶にしおらしく投げ入れてあった。軸は太祇《たいぎ》の筆であろう。黄色い芭蕉布《ばしょうふ》で煤《すす》けた紙の上下《うえした》をたち切った中に、細い字で「赤き実とみてよる鳥や冬椿」とかいてある。小さな青磁の香炉が煙も立てずにひっそりと、紫檀の台にのっているのも冬めかしい。
 その前へ毛氈《もうせん》を
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