顔をしかめながら、無造作《むぞうさ》に時計をポッケットへ返すと、徐《おもむろ》に逞《たくま》しい体を起して、机の上にちらかっていた色鉛筆やナイフを片づけ出した。その間《あいだ》に大井は俊助の読みかけた書物を取上げて、好《い》い加減に所々《ところどころ》開けて見ながら、
「ふん Marius the Epicurean か。」と、冷笑するような声を出したが、やがて生欠伸《なまあくび》を一つ噛《か》み殺すと、
「俊助ズィ・エピキュリアンの近況はどうだい。」
「いや、一向|振《ふる》わなくって困っている。」
「そう謙遜するなよ。女持ちの金時計をぶら下げているだけでも、僕より遥に振っているからな。」
大井は書物を抛《ほう》り出して、また両手を懐へ突こみながら、貧乏|揺《ゆす》りをし始めたが、その内に俊助が外套《がいとう》へ手を通し出すと、急に思い出したような調子で、
「おい、君は『城《しろ》』同人《どうじん》の音楽会の切符を売りつけられたか。」と真顔《まがお》になって問いかけた。
『城』と言うのは、四五人の文科の学生が「芸術の為の芸術」を標榜《ひょうぼう》して、この頃発行し始めた同人雑誌の名
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