人を救わなかったのは、全く抱いて寝ている子供に、けがをさすまいと思ったからである。――
「その上、その次郎さんと申しますのが、この子の親なのでございます。」
 阿濃《あこぎ》は、急に顔を赤らめて、こう言った。
「それから、太郎さんと次郎さんとは、わたしの所へ来て、たっしゃでいろよと申しました。この子を見せましたら、次郎さんは、笑いながら、頭をなでてくれましたが、それでもまだ目には涙がいっぱいたまっておりましたっけ。わたしはもっとそうしていたかったのでござりますが、二人とも、たいへんに急いで、すぐに外へ出ますと、おおかた枇杷《びわ》の木にでもつないでおいたのでございましょう、馬へとびのって、どこかへ行ってしまいました。馬は二匹ではございません。わたしが、この子を抱いて、窓から見ておりますと、一匹に二人で乗って行くのが、月がございましたから、よく見えました。そのあとで、わたしは、主人の死骸《しがい》はそのままにして、そっとまた床へはいりました。主人がよく人を殺すのを見ましたから、その死骸もわたしには、こわくもなんともなかったのでございます。」
 検非違使《けびいし》には、やっとこれだけの事がわかった。そうして、阿濃は、罪の無いのが明らかになったので、さっそく自由の身にされた。
 それから、十年余りのち、尼になって、子供を養育していた阿濃は、丹後守何某《たんごのかみなにがし》の随身に、驍勇《きょうゆう》の名の高い男の通るのを見て、あれが太郎だと人に教えた事がある。なるほどその男も、うす痘瘡《いも》で、しかも片目つぶれていた。
「次郎さんなら、わたしすぐにも駆けて行って、会うのだけれど、あの人はこわいから……」
 阿濃《あこぎ》は、娘のようなしな[#「しな」に傍点]をして、こう言った。が、それがほんとうに太郎かどうか、それはたれにも、わからない。ただ、その男にも弟があって、やはり同じ主人に仕えるという事だけ、そののちかすかに風聞された。
[#地から2字上げ](大正六年四月二十日)



底本:「羅生門・鼻・芋粥・偸盗」岩波文庫、岩波書店
   1960(昭和35)年11月25日 第1刷発行
底本の親本:「芥川竜之介全集」岩波書店
   1954(昭和29)年〜1955(昭和30)年
入力:福田芽久美
校正:野口英司
1998年10月4日公開
2004年3月10日修正
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