みのみ、話しだした。
「そのうちに、おばばがその情人《おとこ》の子をはらんだて。が、これはなんでもない。ただ、驚いたのは、その子を生むと、まもなく、おばばの行《ゆ》き方《かた》が、わからなくなって、しもうた事じゃ。人に聞けば、疫病《えやみ》で死んだの、筑紫《つくし》へ下ったのと言いおるわ。あとで聞けば、なんの、奈良坂《ならざか》のしるべのもとへ、一時身を寄せておったげじゃ。が、わしは、それからにわかに、この世が味気なくなってしもうた。されば、酒も飲む、賭博《ばくち》も打つ。ついには、人に誘われて、まんまと強盗にさえ身をおとしたがな。綾《あや》を盗めば綾につけ、錦《にしき》を盗めば、錦につけ、思い出すのは、ただ、おばばの事じゃ。それから十年たち、十五年たって、やっとまたおばばに、めぐり会ってみれば――」
 今では全く、太郎と一つ畳にすわりこんだ老人は、ここまで話すと、次第に感情がたかぶって来たせいか、しばらくはただ、涙に頬《ほお》をぬらしながら、口ばかり動かして、黙っている。太郎は、片目をあげて、別人を見るように、相手のべそをかいた顔をながめた。
「めぐり会ってみれば、おばばは、もう昔の
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