「おれは、悪事をつむに従って、ますます沙金《しゃきん》に愛着《あいじゃく》を感じて来た。人を殺すのも、盗みをするのも、みんなあの女ゆえである。――現に牢《ろう》を破ったのさえ、次郎を助けようと思うほかに、一人の弟を見殺しにすると、沙金にわらわれるのを、おそれたからであった。――そう思うと、なおさらおれは、何に換えても、あの女を失いたくない。
 その沙金を、おれは今、肉身の弟に奪われようとしている。おれが命を賭《か》けて助けてやった、あの次郎に奪われようとしている。奪われようとしているのか、あるいは、もう奪われているのか、それさえも、はっきりはわからない。沙金《しゃきん》の心を疑わなかったおれは、あの女がほかの男をひっぱりこむのも、よくない仕事の方便として、許していた。それから、養父との関係も、あのおじじが親の威光で、何も知らないうちに、誘惑したと思えば、目をつぶって、すごせない事はない。が、次郎との仲は、別である。
 おれと弟とは、気だてが変わっているようで、実は見かけほど、変わっていない。もっとも顔かたちは、七八年|前《まえ》の痘瘡《もがさ》が、おれには重く、弟には軽かったので、次
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