なってしまった。都も昔の都でなければ、自分も昔の自分でない。
その上、貌《かたち》も変われば、心も変わった。始めて娘と今の夫との関係を知った時、自分は、泣いて騒いだ覚えがある。が、こうなって見れば、それも、当たりまえの事としか思われない。盗みをする事も、人を殺す事も、慣れれば、家業と同じである。言わば京の大路小路《おおじこうじ》に、雑草がはえたように、自分の心も、もうすさんだ事を、苦にしないほど、すさんでしまった。が、一方から見ればまた、すべてが変わったようで、変わっていない。娘の今している事と、自分の昔した事とは、存外似よったところがある。あの太郎と次郎とにしても、やはり今の夫の若かったころと、やる事にたいした変わりはない。こうして人間は、いつまでも同じ事を繰り返してゆくのであろう。そう思えば、都も昔の都なら、自分も昔の自分である。……
猪熊《いのくま》のばばの心の中には、こういう考えが、漠然《ばくぜん》とながら、浮かんで来た。そのさびしい心もちに、つまされたのであろう、丸い目がやさしくなって、蟇《ひき》のような顔の肉が、いつのまにか、ゆるんで来る。――と、また急に、老婆は、生き生きと、しわだらけの顔をにやつかせて、蛙股《かえるまた》の杖《つえ》のはこびを、前よりも急がせ始めた。
それも、そのはずである。四五間先に、道とすすき原とを(これも、元はたれかの広庭であったのかもしれない。)隔てる、くずれかかった築土《ついじ》があって、その中に、盛りをすぎた合歓《ねむ》の木が二三本、こけの色の日に焼けた瓦《かわら》の上に、ほほけた、赤い花をたらしている。それを空《そら》に、枯れ竹の柱を四すみへ立てて、古むしろの壁を下げた、怪しげな小屋が一つ、しょんぼりとかけてある。――場所と言い、様子と言い、中には、こじきでも住んでいるらしい。
別して、老婆の目をひいたのは、その小屋の前に、腕を組んでたたずんだ、十七八の若侍で、これは、朽ち葉色の水干に黒鞘《くろざや》の太刀《たち》を横たえたのが、どういうわけか、しさいらしく、小屋の中をのぞいている。そのういういしい眉《まゆ》のあたりから、まだ子供らしさのぬけない頬《ほお》のやつれが、一目で老婆に、そのたれという事を知らせてくれた。
「何をしているのだえ。次郎さん。」
猪熊《いのくま》のばばは、そのそばへ歩みよると、蛙股《かえる
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