あのような目にあわせた。さあそのしさいを言え。言わねば……」
「言う。言う。――言うがな。言ったあとでも、おぬしの事じゃ。殺さないものでも、なかろう。」
「うるさい。言うか、言わぬか。」
「言う。言う。言う。が、まず、そこを放してくれ。これでは、息がつまって、口がきけぬわ。」
太郎は、それを耳にもかけないように、殺気立った声で、いらだたしく繰り返した。
「言うか、言わぬか。」
「言う。」と、猪熊《いのくま》の爺《おじ》は、声をふりしぼって、まだはね返そうと、もがきながら、「言うともな。あれはただ、わしが薬をのましょうと思うたのじゃ。それを、あの阿濃《あこぎ》の阿呆《あほう》めが、どうしても飲みおらぬ。されば、ついわしも手荒な事をした。それだけじゃ。いや、まだある。薬をこしらえおったのは、おばばじゃ。わしの知った事ではない。」
「薬? では、堕胎薬《おろしぐすり》だな。いくら阿呆でも、いやがる者をつかまえて、非道な事をするおやじだ。」
「それ見い。言えと言うから、言えば、なおおぬしは、わしを殺す気になるわ。人殺し。極道《ごくどう》。」
「たれがおぬしを殺すと言った?」
「殺さぬ気なら、なぜおぬしこそ、太刀《たち》の柄《つか》へ手をかけているのじゃ。」
老人は、汗にぬれたはげ頭を仰向《あおむ》けて、上目に太郎を見上げながら、口角に泡《あわ》をためて、こう叫んだ。太郎は、はっと思った。殺すなら、今だという気が、心頭をかすめて、一閃《いっせん》する。彼は思わず、ひざに力を入れながら、太刀《たち》の柄《つか》を握りしめて、老人の頸《うなじ》のあたりをじっと見た。わずかに残った胡麻塩《ごましお》の毛が、後頭部を半ばおおった下に、二筋の腱《けん》が、赤い鳥肌《とりはだ》の皮膚のしわを、そこだけ目だたないように、のばしている。――太郎は、その頸《うなじ》を見た時に、不思議な憐憫《れんびん》を感じだした。
「人殺し。親殺し。うそつき。親殺し。親殺し。」
猪熊《いのくま》の爺《おじ》は、つづけさまに絶叫しながら、ようやく、太郎のひざの下からはね起きた。はね起きると、すばやく倒れた遣戸《やりど》を小盾《こだて》にとって、きょろきょろ、目を左右にくばりながら、すきさえあれば、逃げようとする。――その一面に赤く地ばれのした、目も鼻もゆがんでいる、狡猾《こうかつ》らしい顔を見ると、太郎は
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