、また険しい色をひらめかせた。――
(すると、突然ある日、そのころ筑後《ちくご》の前司《ぜんじ》の小舎人《ことねり》になっていた弟が、盗人の疑いをかけられて、左の獄《ひとや》へ入れられたという知らせが来た。放免《ほうめん》をしているおれには、獄中の苦しさが、たれよりもよく、わかっている。おれは、まだ筋骨のかたまらない弟の身の上を、自分の事のように、心配した。そこで、沙金《しゃきん》に相談すると、あの女はさもわけがなさそうに、「牢《ろう》を破ればいいじゃないの」と言う。かたわらにいた猪熊《いのくま》のばばも、しきりにそれをすすめてくれる。おれは、とうとう覚悟をきめて、沙金といっしょに、五六人の盗人を語り集めた。そうして、その夜のうちに、獄《ひとや》をさわがして、難なく弟を救い出した。その時、受けた傷の跡は、今でもおれの胸に残っている。が、それよりも忘れられないのは、おれがその時始めて、放免《ほうめん》の一人を切り殺した事であった。あの男の鋭い叫び声と、それから、あの血のにおいとは、いまだにおれの記憶を離れない。こう言う今でも、おれはそれを、この蒸し暑い空気の中に、感じるような心もちがする。
その翌日から、おれと弟とは、猪熊の沙金の家で、人目を忍ぶ身になった。一度罪を犯したからは、正直に暮らすのも、あぶない世渡りをしてゆくのも、検非違使《けびいし》の目には、変わりがない。どうせ死ぬくらいなら、一日も長く生きていよう。そう思ったおれは、とうとう沙金の言うなりになって、弟といっしょに盗人の仲間入りをした。それからのおれは、火もつける。人も殺す。悪事という悪事で、なに一つしなかったものはない。もちろん、それも始めは、いやいやした。が、してみると、意外に造作《ぞうさ》がない。おれはいつのまにか、悪事を働くのが、人間の自然かもしれないと思いだした。……)
太郎は、半ば無意識に辻《つじ》をまがった。辻には、石でまわりを積んだ一囲いの土饅頭《どまんじゅう》があって、その上に石塔婆《せきとうば》が二本、並んで、午後の日にかっと、照りつけられている。その根元にはまた、何匹かのとかげが、煤《すす》のように黒いからだを、気味悪くへばりつかせていたが、太郎の足音に驚いたのであろう、彼の影の落ちるよりも早く、一度にざわめきながら、四方へ散った。が、太郎は、それに目をやるけしきもない。――
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