R本氏さへ知らない。
 すると偉大なる神秘主義者はスウエデンボルグだのベエメだのではない。実は我我文明の民である。同時に又我我の信念も三越の飾り窓と選ぶところはない。我我の信念を支配するものは常に捉へ難い流行である。或は神意に似た好悪である。実際又西施や龍陽君の祖先もやはり猿だつたと考へることは多少の満足を与へないでもない。

       自由意志と宿命と

 兎に角宿命を信ずれば、罪悪なるものの存在しない為に懲罰と云ふ意味も失はれるから、罪人に対する我我の態度は寛大になるのに相違ない。同時に又自由意志を信ずれば責任の観念を生ずる為に、良心の麻痺を免れるから、我我自身に対する我我の態度は厳粛になるのに相違ない。ではいづれに従はうとするのか?
 わたしは恬然と答へたい。半ばは自由意志を信じ、半ばは宿命を信ずべきである。或は半ばは自由意志を疑ひ、半ばは宿命を疑ふべきである。なぜと云へば我我は我我に負はされた宿命により、我我の妻を娶《めと》つたではないか? 同時に又我我は我我に恵まれた自由意志により、必しも妻の注文通り、羽織や帯を買つてやらぬではないか?
 自由意志と宿命とに関らず、神と悪魔、美と醜、勇敢と怯懦《けふだ》、理性と信仰、――その他あらゆる天秤の両端にはかう云ふ態度をとるべきである。古人はこの態度を中庸と呼んだ。中庸とは英吉利語の good sense である。わたしの信ずるところによれば、グツドセンスを待たない限り、如何なる幸福も得ることは出来ない。もしそれでも得られるとすれば、炎天に炭火を擁したり、大寒に団扇《うちは》を揮《ふる》つたりする我慢の幸福ばかりである。

       小児

 軍人は小児に近いものである。英雄らしい身振を喜んだり、所謂光栄を好んだりするのは今更此処に云ふ必要はない。機械的訓練を貴んだり、動物的勇気を重んじたりするのも小学校にのみ見得る現象である。殺戮《さつりく》を何とも思はぬなどは一層小児と選ぶところはない。殊に小児と似てゐるのは喇叭《らつぱ》や軍歌に鼓舞されれば、何の為に戦ふかも問はず、欣然《きんぜん》と敵に当ることである。
 この故に軍人の誇りとするものは必ず小児の玩具に似てゐる。緋縅《ひをどし》の鎧や鍬形《くはがた》の兜《かぶと》は成人の趣味にかなつた者ではない。勲章も――わたしには実際不思議である。なぜ軍人は酒にも酔はずに、勲章を下げて歩かれるのであらう?

       武器

 正義は武器に似たものである。武器は金を出しさへすれば、敵にも味方にも買はれるであらう。正義も理窟をつけさへすれば、敵にも味方にも買はれるものである。古来「正義の敵」と云ふ名は砲弾のやうに投げかはされた。しかし修辞につりこまれなければ、どちらがほんとうの「正義の敵」だか、滅多《めつた》に判然したためしはない。
 日本人の労働者は単に日本人と生まれたが故に、パナマから退去を命ぜられた。これは正義に反してゐる。亜米利加《アメリカ》は新聞紙の伝へる通り、「正義の敵」と云はなければならぬ。しかし支那人の労働者も単に支那人と生まれたが故に、千住から退去を命ぜられた。これも正義に反してゐる。日本は新聞紙の伝へる通り、――いや、日本は二千年来、常に「正義の味方」である。正義はまだ日本の利害と一度も矛盾はしなかつたらしい。
 武器それ自身は恐れるに足りない。恐れるのは武人の伎倆である。正義それ自身も恐れるに足りない。恐れるのは煽動家の雄弁である。武后は人天を顧みず、冷然と正義を蹂躪した。しかし徐敬業の乱に当り、駱賓王《らくひんわう》の檄を読んだ時には色を失ふことを免れなかつた。「一抔土未乾《いつぽうのどいまだかわかず》六尺孤安在《ろくしやくのこいづくにかある》」の双句は天成のデマゴオクを待たない限り、発し得ない名言だつたからである。
 わたしは歴史を翻へす度に、遊就館を想ふことを禁じ得ない。過去の廊下には薄暗い中にさまざまの正義が陳列してある。青龍刀に似てゐるのは儒教の教へる正義であらう。騎士の槍に似てゐるのは基督教の教へる正義であらう。此処に太い棍棒がある。これは社会主義者の正義であらう。彼処《かしこ》に房のついた長剣がある。あれは国家主義者の正義であらう。わたしはさう云ふ武器を見ながら、幾多の戦ひを想像し、をのづから心悸《しんき》の高まることがある。しかしまだ幸か不幸か、わたし自身その武器の一つを執りたいと思つた記憶はない。

       尊王

 十七世紀の仏蘭西《フランス》の話である。或日 Duc de Bourgogne が 〔Abbe' Choisy〕 にこんなことを尋ねた。シヤルル六世は気違ひだつた。その意味を婉曲《ゑんきよく》に伝へる為には、何と云へば好いのであらう? アベは言下に返答した。「わたしならば唯かう申します。シヤルル六世は気違ひだつたと。」アベ・シヨアズイはこの答を一生の冒険の中に数へ、後のちまでも自慢にしてゐたさうである。
 十七世紀の仏蘭西はかう云ふ逸話の残つてゐる程、尊王の精神に富んでゐたと云ふ。しかし二十世紀の日本も尊王の精神に富んでゐることは当時の仏蘭西に劣らなさうである。まことに、――欣幸《きんかう》の至りに堪へない。

       創作

 芸術家は何時も意識的に彼の作品を作るのかも知れない。しかし作品そのものを見れば、作品の美醜の一半は芸術家の意識を超越した神秘の世界に存してゐる。一半?、或は大半と云つても好い。
 我我は妙に問ふに落ちず、語るに落ちるものである。我我の魂はをのづから作品に露るることを免れない。一刀一拝した古人の用意はこの無意識の境に対する畏怖を語つてはゐないであらうか?
 創作は常に冒険である。所詮は人力を尽した後、天命に委かせるより仕方はない。
[#天から2字下げ]少時学語苦難円《せうじごをまなんでゑんなりがたきをくるしむ》 唯道工夫半未全《ただいふくふうなかばいまだまつたからずと》 到老始知非力取《らうにいたつてはじめてしるりよくしゆにあらざるを》 三分人事七分天《さんぶのじんじ しちぶのてん》
 趙甌北《てうおうほく》の「論詩」の七絶はこの間の消息を伝へたものであらう。芸術は妙に底の知れない凄みを帯びてゐるものである。我我も金を欲しがらなければ、又名聞を好まなければ、最後に殆ど病的な創作熱に苦しまなければ、この無気味な芸術などと格闘する勇気は起らなかつたかも知れない。わたしは正直に創作だけは少くともこの二三年来、菲才《ひさい》その任に非ずとあきらめてゐる。

       鑑賞

 芸術の鑑賞は芸術家自身と鑑賞家との協力である。云はば鑑賞家は一つの作品を課題に彼自身の創作を試みるのに過ぎない。この故に如何なる時代にも名声を失はない作品は必ず種々の鑑賞を可能にする特色を具へてゐる。しかし種々の鑑賞を可能にすると云ふ意味はアナトオル・フランスの云ふやうに、何処か曖昧に出来てゐる為、どう云ふ解釈を加へるもたやすいと云ふ意味ではあるまい。寧ろ廬山《ろざん》の峰々のやうに、種々の立ち場から鑑賞され得る多面性を具へてゐるのであらう。

       古典

 古典の作者の幸福なる所以は兎《と》に角《かく》彼等の死んでゐることである。

       又

 我我の――或は諸君の幸福なる所以も兎に角彼等の死んでゐることである。

       幻滅した芸術家

 或一群の芸術家は幻滅の世界に住してゐる。彼等は愛を信じない。良心なるものをも信じない。唯昔の苦行者のやうに無何有《むかう》の砂漠を家としてゐる。その点は成程気の毒かも知れない。しかし美しい蜃気楼は砂漠の天にのみ生ずるものである。百般の人事に幻滅した彼等も大抵芸術には幻滅してゐない。いや、芸術と云ひさへすれば、常人の知らない金色の夢は忽《たちま》ち空中に出現するのである。彼等も実は思ひの外、幸福な瞬間を持たぬ訳ではない。

       告白

 完全に自己を告白することは何人にも出来ることではない。同時に又自己を告白せずには如何なる表現も出来るものではない。
 ルツソオは告白を好んだ人である。しかし赤裸々の彼自身は懺悔録の中にも発見出来ない。メリメは告白を嫌つた人である。しかし「コロンバ」は隠約の間に彼自身を語つてはゐないであらうか? 所詮告白文学とその他の文学との境界線は見かけほどはつきりはしてゐないのである。

       人生
        ――石黒定一君に――

 もし游泳を学ばないものに泳げと命ずるものがあれば、何人も無理だと思ふであらう。もし又ランニングを学ばないものに駈けろと命ずるものがあれば、やはり理不尽だと思はざるを得ない。しかし我我は生まれた時から、かう云ふ莫迦げた命令を負はされてゐるのも同じことである。
 我我は母の胎内にゐた時、人生に処する道を学んだであらうか? しかも胎内を離れるが早いか、兎に角大きい競技場に似た人生の中に踏み入るのである。勿論游泳を学ばないものは満足に泳げる理窟はない。同様にランニングを学ばないものは大抵人後に落ちさうである。すると我我も創痍《さうい》を負はずに人生の競技場を出られる筈はない。
 成程世人は云ふかも知れない。「学人の跡を見るが好い。あそこに君たちの手本がある」と。しかし百の游泳者や千のランナアを眺めたにしろ、忽ち游泳を覚えたり、ランニングに通じたりするものではない。のみならずその游泳者は悉《ことごとく》水を飲んでをり、その又ランナアは一人残らず競技場の土にまみれてゐる。見給へ、世界の名選手さへ大抵は得意の微笑のかげに渋面を隠してゐるではないか?
 人生は狂人の主催に成つたオリムピツク大会に似たものである。我我は人生と闘ひながら、人生と闘ふことを学ばねばならぬ。かう云ふゲエムの莫迦々々しさに憤慨を禁じ得ないものはさつさと埒外《らちぐわい》に歩み去るが好い。自殺も亦確かに一便法である。しかし人生の競技場に踏み止まりたいと思ふものは創痍を恐れずに闘はなければならぬ。四つん這ひになつたランナアは滑稽であると共に悲惨である。水を呑んだ游泳者も涙と笑とを催させるであらう。我我は彼等と同じやうに、人生の悲喜劇を演ずるものである。創痍を蒙るのはやむを得ない。が、その創痍に堪へる為には、――世人は何と云ふかも知れない。わたしは常に同情と諧謔《かいぎやく》とを持ちたいと思つてゐる。

       又

 人生は一箱のマツチに似てゐる。重大に扱ふのは莫迦々々しい。重大に扱はなければ危険である。

       又

 人生は落丁の多い書物に似てゐる。一部を成すとは称し難い。しかし兎に角一部を成してゐる。

       或自警団員の言葉

 さあ、自警の部署に就かう。今夜は星も木木の梢に涼しい光を放つてゐる。微風もそろそろ通ひ出したらしい。さあ、この籐の長椅子に寝ころび、この一本のマニラに火をつけ、夜もすがら気楽に警戒しよう。もし喉の渇いた時には水筒のウイスキイを傾ければ好い。幸ひまだポケツトにはチヨコレエトの棒も残つてゐる。
 聴き給へ、高い木木の梢に何か寝鳥の騒いでゐるのを。鳥は今度の大地震にも困ると云ふことを知らないであらう。しかし我我人間は衣食住の便宜を失つた為にあらゆる苦痛を味はつてゐる。いや、衣食住どころではない。一杯のシトロンの飲めぬ為にも少からぬ不自由を忍んでゐる。人間と云ふ二足の獣は何と云ふ情けない動物であらう。我我は文明を失つたが最後、それこそ風前の燈火のやうに覚束《おぼつか》ない命を守らなければならぬ。見給へ。鳥はもう静かに寝入つてゐる。羽根蒲団や枕を知らぬ鳥は!
 鳥はもう静かに寝入つてゐる。夢も我我より安らかであらう。鳥は現在にのみ生きるものである。しかし我我人間は過去や未来にも生きなければならぬ。と云ふ意味は悔恨や憂慮の苦痛をも嘗めなければならぬ。殊に今度の大地震はどの位我我の未来の上へ寂しい暗黒を投げかけたであらう。東京を焼かれた我我は今日の餓に苦しみ乍《なが》ら、明日の餓にも苦しんでゐる。鳥は幸ひにこの苦痛を知
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