であらう。管鮑の交りは少時《しばらく》問はず、我我は皆多少にもせよ、我我の親密なる友人知己を憎悪し或は軽蔑してゐる。が、憎悪も利害の前には鋭鋒を収めるのに相違ない。且又軽蔑は多々益々恬然と虚偽を吐かせるものである。この故に我我の友人知己と最も親密に交る為めには、互に利害と軽蔑とを最も完全に具へなければならぬ。これは勿論《もちろん》何びとにも甚だ困難なる条件である。さもなければ我我はとうの昔に礼譲に富んだ紳士になり、世界も亦とうの昔に黄金時代の平和を現出したであらう。
瑣事
人生を幸福にする為には、日常の瑣事《さじ》を愛さなければならぬ。雲の光り、竹の戦《そよ》ぎ、群雀《むらすずめ》の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味《かんろみ》を感じなければならぬ。
人生を幸福にする為には?――しかし瑣事を愛するものは瑣事の為に苦しまなければならぬ。庭前の古池に飛びこんだ蛙は百年の愁を破つたであらう。が、古池を飛び出した蛙は百年の愁を与へたかも知れない。いや、芭蕉の一生は享楽の一生であると共に、誰の目にも受苦の一生である。我我も微妙に楽しむ為には、やはり又微妙
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