R本氏さへ知らない。
すると偉大なる神秘主義者はスウエデンボルグだのベエメだのではない。実は我我文明の民である。同時に又我我の信念も三越の飾り窓と選ぶところはない。我我の信念を支配するものは常に捉へ難い流行である。或は神意に似た好悪である。実際又西施や龍陽君の祖先もやはり猿だつたと考へることは多少の満足を与へないでもない。
自由意志と宿命と
兎に角宿命を信ずれば、罪悪なるものの存在しない為に懲罰と云ふ意味も失はれるから、罪人に対する我我の態度は寛大になるのに相違ない。同時に又自由意志を信ずれば責任の観念を生ずる為に、良心の麻痺を免れるから、我我自身に対する我我の態度は厳粛になるのに相違ない。ではいづれに従はうとするのか?
わたしは恬然と答へたい。半ばは自由意志を信じ、半ばは宿命を信ずべきである。或は半ばは自由意志を疑ひ、半ばは宿命を疑ふべきである。なぜと云へば我我は我我に負はされた宿命により、我我の妻を娶《めと》つたではないか? 同時に又我我は我我に恵まれた自由意志により、必しも妻の注文通り、羽織や帯を買つてやらぬではないか?
自由意志と宿命とに関らず、神と悪
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