かも知れない。しかし懐疑主義は同時に又少しも信念の上に立たぬ哲学のあることをも疑ふものである。
正直
若し正直になるとすれば、我我は忽《たちま》ち何びとも正直になられぬことを見出すであらう。この故に我我は正直になることに不安を感ぜずにはゐられぬのである。
虚偽
わたしは或嘘つきを知つてゐた。彼女は誰よりも幸福だつた。が、余りに嘘の巧みだつた為にほんたうのことを話してゐる時さへ嘘をついてゐるとしか思はれなかつた。それだけは確かに誰の目にも彼女の悲劇に違ひなかつた。
又
わたしも亦あらゆる芸術家のやうに寧ろ嘘には巧みだつた。が、いつも彼女には一籌《いつちう》を輸する外はなかつた。彼女は実に去年の嘘をも五分前の嘘のやうに覚えてゐた。
又
わたしは不幸にも知つてゐる。時には嘘に依る外は語られぬ真実もあることを。
諸君
諸君は青年の芸術の為に堕落することを恐れてゐる。しかしまづ安心し給へ。諸君ほどは容易に堕落しない。
又
諸君は芸術の国民を毒することを恐れてゐる。しかしまづ安心し給へ。少くとも諸君を毒することは絶対に芸術には不可能である。二千年来芸術の魅力を理解せぬ諸君を毒することは。
忍従
忍従はロマンテイツクな卑屈である。
企図
成すことは必しも困難ではない。が、欲することは常に困難である。少くとも成すに足ることを欲するのは。
又
彼等の大小を知らんとするものは彼等の成したことに依り、彼等の成さんとしたことを見なければならぬ。
兵卒
理想的兵卒は苟《いやし》くも上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に批判を加へぬことである。即ち理想的兵卒はまづ理性を、失はなければならぬ。
又
理想的兵卒は苟くも上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に責任を負はぬことである。即ち理想的兵卒はまづ無責任を好まなければならぬ。
軍事教育
軍事教育と言ふものは畢竟只軍事用語の知識を与へるばかりである。その他の知識や訓練は何も特に軍事教育を待つた後に得られるものではない。現に海陸軍の学校さへ、機械学、物理学、応用化学、語学等は勿論、剣道、柔道、水泳等にもそれ/″\専門家を傭つてゐるではないか? しかも更に考へて見れば、軍事用語も学術用語と違ひ、大部分は通俗的用語である。すると軍事教育と言ふものは事実上ないものと言はなければならぬ。事実上ないものゝ利害得失は勿論問題にはならぬ筈である。
勤倹尚武
「勤倹尚武」と言ふ成語位、無意味を極めてゐるものはない。尚武は国際的|奢侈《しやし》である。現に列強は軍備の為に大金を費してゐるではないか? 若し「勤倹尚武」と言ふことも痴人の談でないとすれば、「勤倹遊蕩」と言ふこともやはり通用すると言はなければならぬ。
日本人
我我日本人の二千年来君に忠に親に孝だつたと思ふのは、猿田彦の命もコスメ・テイツクをつけてゐたと思ふのと同じことである。もうそろ/\ありのまゝの歴史的事実に徹して見ようではないか?
倭寇
倭寇《わこう》は我我日本人も優に列強に伍するに足る能力のあることを示したものである。我我は盗賊、殺戮、姦淫等に於ても、決して「黄金の島」を探しに来た西班牙《スペイン》人、葡萄牙《ポルトガル》人、和蘭《オランダ》人、英吉利《イギリス》人等に劣らなかつた。
つれづれ草
わたしは度たびかう言はれてゐる。――「つれづれ草などは定めしお好きでせう?」しかし不幸にも「つれづれ草」などは、未嘗《いまだかつて》愛読したことはない。正直な所を白状すれば「つれづれ草」の名高いのもわたしには殆ど不可解である。中学程度の教科書に便利であることは認めるにもしろ。
徴候
恋愛の徴候の一つは彼女は過去に何人の男を愛したか、或はどう言ふ男を愛したかを考へ、その架空の何人かに漠然とした嫉妬を感ずることである。
又
又恋愛の徴候の一つは彼女に似た顔を発見することに極度に鋭敏になることである。
恋愛と死と
恋愛の死を想はせるのは進化論的根拠を持つてゐるのかも知れない。蜘蛛や蜂は交尾を終ると、忽ち雄は雌の為に刺し殺されてしまふのである。わたしは伊太利の旅役者の歌劇「カルメン」を演ずるのを見た時、どうもカルメンの一挙一動に蜂を感じてならなかつた。
身代り
我我は彼女を愛する為に往々彼女の外の女人を彼女の身代りにするものであ
前へ
次へ
全18ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング