宙観である。議論の是非は問ふ所ではない。唯ブランキは牢獄の中にかう云ふ夢をペンにした時、あらゆる革命に絶望してゐた。このことだけは今日もなほ何か我我の心の底へ滲《し》み渡る寂しさを蓄《たくは》へてゐる。夢は既に地上から去つた。我我も慰めを求める為には何万億|哩《マイル》の天上へ、――宇宙の夜に懸《かか》つた第二の地球へ輝かしい夢を移さなければならぬ。

       庸才

 庸才《ようさい》の作品は大作にもせよ、必ず窓のない部屋に似てゐる。人生の展望は少しも利かない。

       機智

 機智とは三段論法を欠いた思想であり、彼等の所謂「思想」とは思想を欠いた三段論法である。

       又

 機智に対する嫌悪の念は人類の疲労に根ざしてゐる。

       政治家

 政治家の我我素人よりも政治上の知識を誇り得るのは紛々たる事実の知識だけである。畢竟某党の某首領はどう言ふ帽子をかぶつてゐるかと言ふのと大差のない知識ばかりである。

       又

 所謂「床屋政治家」とはかう言ふ知識のない政治家である。若し夫《そ》れ識見を論ずれば必ずしも政治家に劣るものではない。且又利害を超越した情熱に富んでゐることは常に政治家よりも高尚である。

       事実

 しかし紛々たる事実の知識は常に民衆の愛するものである。彼等の最も知りたいのは愛とは何かと言ふことではない。クリストは私生児かどうかと言ふことである。

       武者修業

 わたしは従来武者修業とは四方の剣客と手合せをし、武技を磨くものだと思つてゐた。が、今になつて見ると、実は己ほど強いものの余り天下にゐないことを発見する為にするものだつた。――宮本武蔵伝読後。

       ユウゴオ

 全フランスを蔽ふ一片のパン。しかもバタはどう考へても、余りたつぷりはついてゐない。

       ドストエフスキイ

 ドストエフスキイの小説はあらゆる戯画に充ち満ちてゐる。尤《もつと》もその又戯画の大半は悪魔をも憂鬱にするに違ひない。

       フロオベル

 フロオベルのわたしに教へたものは美しい退屈もあると言ふことである。

       モオパスサン

 モオパスサンは氷に似てゐる。尤も時には氷砂糖にも似てゐる。

       ポオ

 ポオはスフインクスを作る前に解剖学を研究した。ポオの後代を震駭《しんがい》した秘密はこの研究に潜んでゐる。

       森鴎外

 畢竟鴎外先生は軍服に剣を下げた希臘《ギリシア》人である。

       或資本家の論理

「芸術家の芸術を売るのも、わたしの蟹の缶詰めを売るのも、格別変りのある筈はない。しかし芸術家は芸術と言へば、天下の宝のやうに思つてゐる。あゝ言ふ芸術家の顰《ひそ》みに傚《なら》へば、わたしも亦|一缶《ひとくわん》六十銭の蟹の缶詰めを自慢しなければならぬ。不肖行年六十一、まだ一度も芸術家のやうに莫迦々々しい己惚《うぬぼ》れを起したことはない。」

       批評学
        ――佐佐木茂索君に――

 或天気の好い午前である。博士に化けた Mephistopheles は或大学の講座に批評学の講義をしてゐた。尤もこの批評学は Kant の Kritik や何かではない。只如何に小説や戯曲の批評をするかと言ふ学問である。
「諸君、先週わたしの申し上げた所は御理解になつたかと思ひますから、今日は更に一歩進んだ『半肯定論法』のことを申し上げます。『半肯定論法』とは何かと申すと、これは読んで字の通り、或作品の芸術的価値を半ば肯定する論法であります。しかしその『半ば』なるものは『より悪い半ば』でなければなりません。『より善い半ば』を肯定することは頗《すこぶ》るこの論法には危険であります。
「たとへば日本の桜の花の上にこの論法を用ひて御覧なさい。桜の花の『より善い半ば』は色や形の美しさであります。けれどもこの論法を用ふるためには『より善い半ば』よりも『より悪い半ば』――即ち桜の花の匂ひを肯定しなければなりません。つまり『匂いは正にある。が、畢竟それだけだ』と断案を下してしまふのであります。若し又万一『より悪い半ば』の代りに『より善い半ば』を肯定したとすれば、どう言ふ破綻を生じますか? 『色や形は正に美しい。が、畢竟それだけだ』――これでは少しも桜の花を貶したことにはなりません。
「勿論批評学の問題は如何に或小説や戯曲を貶すかと言ふことに関してゐます。しかしこれは今更のやうに申し上げる必要はありますまい。
「ではこの『より善い半ば』や『より悪い半ば』は何を標準に区別しますか? かう言ふ問題を解決する為には、これも度たび申し上げた価値論へ溯《さかのぼ》らなければなりません。価値は古来信ぜられたや
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