又
わたしは第三者を愛する為に夫の目を偸《ぬす》んでいる女にはやはり恋愛を感じないことはない。しかし第三者を愛する為に子供を顧みない女には満身の憎悪を感じている。
又
わたしを感傷的にするものは唯《ただ》無邪気な子供だけである。
又
わたしは三十にならぬ前に或女を愛していた。その女は或時わたしに言った。――「あなたの奥さんにすまない。」わたしは格別わたしの妻に済まないと思っていた訣《わけ》ではなかった。が、妙にこの言葉はわたしの心に滲《し》み渡った。わたしは正直にこう思った。――「或はこの女にもすまないのかも知れない。」わたしは未だにこの女にだけは優しい心もちを感じている。
又
わたしは金銭には冷淡だった。勿論《もちろん》食うだけには困らなかったから。
又
わたしは両親には孝行だった。両親はいずれも年をとっていたから。
又
わたしは二三の友だちにはたとい真実を言わないにもせよ、※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]をついたことは一度もなかった。彼等も亦※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]をつかなかったから。
人生
革命に革命を重ねたとしても、我我人間の生活は「選ばれたる少数」を除きさえすれば、いつも暗澹《あんたん》としている筈《はず》である。しかも「選ばれたる少数」とは「阿呆と悪党と」の異名に過ぎない。
民衆
シェクスピイアも、ゲエテも、李太白《りたいはく》も、近松門左衛門も滅びるであろう。しかし芸術は民衆の中に必ず種子を残している。わたしは大正十二年に「たとい玉は砕けても、瓦《かわら》は砕けない」と云うことを書いた。この確信は今日《こんにち》でも未だに少しも揺がずにいる。
又
打ち下ろすハンマアのリズムを聞け。あのリズムの存する限り、芸術は永遠に滅びないであろう。(昭和改元の第一日)
又
わたしは勿論失敗だった。が、わたしを造り出したものは必ず又誰かを作り出すであろう。一本の木の枯れることは極めて区々たる問題に過ぎない。無数の種子を宿している、大きい地面が存在する限りは。 (同上)
或夜の感想
眠りは死よりも愉快である。少くとも容易には違いあるまい。 (昭和改元の第二日)
底本:「昭和文学全集 第1巻」小学館
1987(昭和62)年5月1日初版第1刷発行
(「序」は、筑摩書房刊 ちくま文庫『芥川龍之介全集7』)
親本:岩波書店刊「芥川龍之介全集」
1977(昭和52)年〜1978(昭和53)年
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月13日公開
2004年3月8日修正
青空文庫作成ファイル:
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