されるのに違いない。しかし自然の名のもとにこの旧習の弁護するのは確かに親の我儘《わがまま》である。若《も》し自然の名のもとに如何なる旧習も弁護出来るならば、まず我我は未開人種の掠奪《りゃくだつ》結婚を弁護しなければならぬ。
又
子供に対する母親の愛は最も利己心のない愛である。が、利己心のない愛は必ずしも子供の養育に最も適したものではない。この愛の子供に与える影響は――少くとも影響の大半は暴君にするか、弱者にするかである。
又
人生の悲劇の第一幕は親子となったことにはじまっている。
又
古来如何に大勢の親はこう言う言葉を繰り返したであろう。――「わたしは畢竟失敗者だった。しかしこの子だけは成功させなければならぬ。」
可能
我々はしたいことの出来るものではない。只出来ることをするものである。これは我我個人ばかりではない。我我の社会も同じことである。恐らくは神も希望通りにこの世界を造ることは出来なかったであろう。
ムアアの言葉
ジョオジ・ムアアは「我死せる自己の備忘録」の中にこう言う言葉を挟んでいる。――「偉大なる画家は名前を入れる
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